中国、唐の安史(あんし)の乱の指導者の一人。安禄山(あんろくざん)と郷里が同じで営州(遼寧(りょうねい)省朝陽市付近)の突厥(とっけつ)系雑胡(ざっこ)の出身で、初名は窣干(そっかん)といい、思明の名はのちに玄宗から賜った。6種の蕃語(ばんご)を解し、安禄山とともに互市郎となり、幽州節度使張守珪(ちょうしゅけい)に仕え戦功をたて、752年禄山の上奏によって平盧(へいろ)軍節度都知兵馬使となり、755年禄山反乱後は行動をともにし、禄山が子の慶緒(けいしょ)に殺されると一時唐側に降ったが、粛宗が彼を殺そうとしたので758年ふたたび反して洛陽(らくよう)を陥れ、大聖燕王(えんおう)と称し、慶緒を殺してその軍をあわせ、大燕(だいえん)皇帝と称した。しかし末子の史朝清を溺愛(できあい)し、妾腹(しょうふく)の子史朝義を除こうとしたため逆に朝義に殺された。
[菊池英夫]
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唐の安史の乱の指導者の一人。営州(遼寧省朝陽県)出身のソグド人系武将。早くから安禄山(あんろくざん)と親しく,その反乱に従ったが,安禄山の子安慶緒とあわず唐に降った。再び叛いて慶緒を殺し大燕皇帝と称したが,後嗣のことで子の史朝義に殺された。
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…通宝・重宝に元号等を冠する様式はその後,清末まで継承されることになる。なお,安史の乱の際,史思明は得壱元宝,順天元宝を発行したが,以後,王朝に反旗を翻して自立するものや異民族で対立王朝を開くものなども,その元号を冠した銅銭を発行するようになった。また唐の中葉以後,遠距離の商取引などに為替手形(飛銭)が用いられるようになった。…
※「史思明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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