日本歴史地名大系 「合鹿村」の解説 合鹿村ごうろくむら 石川県:鳳至郡柳田村合鹿村[現在地名]柳田村合鹿久田(きゆうでん)村の南東山中にあり、北東は馬渡(まわたり)村(現珠洲市)、東は国重(くにしげ)村(現内浦町)。村内に小木之又(こぎのまた)(小木ノ又)・(たたら)(多々羅・田平)・言若(ごんじやく)(権舎・言尺)の字名があるという(鳳至郡誌)。「三州志」はこのほか乗木(のりき)があるとする。乗木は現在は珠洲(すず)市宝立(ほうりゆう)町馬渡のうち。祇園社懸仏裏面銘(岩多神社蔵)によれば、永禄五年(一五六二)六月三日に祇園社が合鹿に勧請されている。同一一年一二月五日畠山義胤は林源右衛門尉に対し、浦上(うらかみ)村(現門前町)の替地として「合鹿之内誉田弾正忠分一円」を宛行い、諸役皆免とした(「畠山義胤判物」林文書)。正保郷帳では高三四九石余、田方一九町六反余・畑方三町六反余、新田高一一五石余。承応三年(一六五四)の村御印では高三八〇石余、免四ツ四分(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高四八六石、免四ツ四分、小物成は山役二一一匁、鳥役二匁(出来)、炭竈役一枚一三匁(退転)がある(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by