吉住新村(読み)よしずみしんむら

日本歴史地名大系 「吉住新村」の解説

吉住新村
よしずみしんむら

[現在地名]高岡市戸出吉住新(といでよしずみしん)

吉住村の西、千保(せんぼ)川跡の中流右岸に位置。西は吉住又新(よしずみまたしん)村、南は石丸(いしまる)村(現砺波市)。吉住村与四兵衛が千保川の川跡を開拓したと伝える(戸出町史)。寛文六年(一六六六)の新開で、翌年村立てされた。同一〇年の村御印には吉住村の項に吉住新村分として、寛文六年新田高二七石・免四ツ四歩とある(三箇国高物成帳)。延宝四年(一六七六)の役家数七、肝煎は吉住村六蔵が兼帯(「礪波郡村肝煎給米図り帳」川合家文書)。享保一六年(一七三一)の高五五石、居村百姓七人のうち持高一〇石以上二人、一〇石未満五人、掛作百姓六人のうち五人は西部金屋(にしぶかなや)村の者であった(「国吉組持高帳」同文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

東日本大震災を受け2011年6月に成立した津波対策推進法で、故事「稲むらの火」にちなみ、11月5日と定めた。江戸時代の1854年11月5日(旧暦)、安政南海地震で大津波が発生。現在の和歌山県広川町で...

津波防災の日の用語解説を読む