吉佐村(読み)きさむら

日本歴史地名大系 「吉佐村」の解説

吉佐村
きさむら

[現在地名]安来市吉佐町

門生かど村の東に位置し、東は伯耆国。山陰道が通る。北は中海に面していたが、その海浜は現在は干拓されて中海なかうみ町となった(→門生村八幡山はちまんやま古墳(円墳)があり、箱式石棺の前期古墳であった。また神代こうじろ塚が字神宝しんぽうにあり、南方には穴神あながみ横穴墓があった。古代は「出雲国風土記」意宇おう郡、「和名抄能義のぎ郡に載る屋代やしろ郷に属したと推定される。中世には安田やすだ庄に含まれ、宝治三年(一二四九)二月日の権大僧都成真置文(石清水文書)地名がみえる。寛永七年(一六三〇)の吉佐村検地帳によると高一九三石余。元禄十年出雲国郷帳では高四五七石余、うち永荒が九石余あり残高四四七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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