吉和塩浜(読み)よしわしおはま

日本歴史地名大系 「吉和塩浜」の解説

吉和塩浜
よしわしおはま

[現在地名]尾道市新浜一―二丁目・古浜町・福地町

吉和村の海岸を埋立てて造成された入浜式塩田。在郷町手崎(てさき)町・東手崎(ひがしてさき)町を含む。「芸藩通志」によると、元禄―正徳(一六八八―一七一六)の間に開かれたもので、広一七町、袤一町、畝数三町五反余、高一九・五七八石、戸数と人口は漁師(りようし)町と合わせて一九〇戸・一千九三人、舟も合わせて一四二艘で、湊(みなと)神社(祭神厳島神)があった。

「国郡志下調書出帳」によると、塩浜二一軒で、八軒島(はちけんじま)は元禄九年、九軒島(くけんじま)は元禄一六年の築調、二軒島(にけんじま)と福地(ふくち)二軒島は正徳五年に賀茂郡下市(しもいち)村(現竹原市)の勝助が三次藩の免許を受け、自力で浜付畑三町四反二畝を合わせて開発したもので、正徳(しようとく)浜とも称され、勝助は塩浜庄屋に任じられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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