20世紀日本人名事典 「吉岡顕作」の解説 吉岡 顕作ヨシオカ ケンサク 明治・大正期の陸軍中将 生年明治5年(1872年) 没年昭和3(1928)年6月26日 出生地大分県国東郡下山口村(現・安岐町) 学歴〔年〕陸士卒,陸大卒 経歴上等小学校を出て14歳で中武蔵村吉弘学校の助教を務め、明治25年陸軍教導団に入る。士官学校に進み、陸軍大学を主席で卒業。日露戦争では久邇宮殿下付き武官で黒木将軍第2軍参謀。その後、参謀本部に属し、42年オーストリア駐在武官。大正元年帰国し陸軍大学校教官兼大山巌元帥の副官、6年歩兵第61連隊長、歩兵第10旅団長、12年支那駐屯軍司令官などを歴任。9年少将、14年中将。15年陸軍大学校で講演中に倒れ療養していたが、昭和3年死去。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉岡顕作」の解説 吉岡顕作 よしおか-けんさく 1874-1928 明治-大正時代の軍人。明治7年2月生まれ。陸軍大学校の教官,歩兵第六十一連隊長,歩兵第十旅団長,支那駐屯軍司令官などを歴任した。大正14年陸軍中将。昭和3年6月26日死去。55歳。大分県出身。陸軍大学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by