吉川兼光(読み)ヨシカワ カネミツ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「吉川兼光」の解説

吉川 兼光
ヨシカワ カネミツ


肩書
衆院議員(民社党)

生年月日
明治35年10月27日

出生地
福岡県行橋市

学歴
専修大学経済科〔大正14年〕卒

経歴
早大政治科を経て専大、のちウィーン大学に留学大阪毎日新聞記者京城日報調査部長、中大講師、船橋農林学校長などを歴任。昭和21年以来千葉1区から衆院議員当選7回。社会党中執委員、宣伝部長、その後民主社会党に参加、中執委員、統制委員長、国会議員団副団長、顧問を務めた。日本農民組合連合会委員長。著書に「政治学大意」がある。

没年月日
昭和48年3月31日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「吉川兼光」の解説

吉川 兼光
ヨシカワ カネミツ

昭和期の政治家 衆院議員(民社党)。



生年
明治35(1902)年10月27日

没年
昭和48(1973)年3月31日

出生地
福岡県行橋市

学歴〔年〕
専修大学経済科〔大正14年〕卒

経歴
早大政治科を経て専大、のちウィーン大学に留学。大阪毎日新聞記者、京城日報調査部長、中大講師、船橋農林学校長などを歴任。昭和21年以来千葉1区から衆院議員当選7回。社会党中執委員、宣伝部長、その後民主社会党に参加、中執委員、統制委員長、国会議員団副団長、顧問を務めた。日本農民組合連合会委員長。著書に「政治学大意」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉川兼光」の解説

吉川兼光 よしかわ-かねみつ

1902-1973 昭和時代後期の政治家。
明治35年10月27日生まれ。「大阪毎日新聞」記者,「京城日報」論説委員をへてウィーン大に留学後,船橋農林学校長。昭和21年衆議院議員(当選7回)となる。社会党中央執行委員,のち民社党に属し中央執行委員,統制委員長。昭和48年3月31日死去。70歳。福岡県出身。専修大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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