吉田久継(読み)ヨシダ キュウケイ

20世紀日本人名事典 「吉田久継」の解説

吉田 久継
ヨシダ キュウケイ

大正・昭和期の彫刻家



生年
明治21(1888)年12月12日

没年
昭和38(1963)年3月10日

出生地
東京

本名
吉田 久次

学歴〔年〕
東京美術学校彫刻科選科〔大正2年〕卒,東京美術学校研究科〔大正5年〕修了

主な受賞名〔年〕
帝展特選(第2回)〔大正9年〕「霊光」,帝展特選(第4回)

経歴
12歳から高橋楽水に蠟型技術、馬場正寿に彫金、白井雨山彫塑研究所でに彫塑を学び、美校を経て、太平洋画会研究所、さらに本郷洋画研究所で岡田三郎助デッサン師事。大正7年以後入選、特選を続け、第7回帝展から審査員となり、官展作家として活躍した。8年には東台彫塑会、10年赤洵社を組織、昭和4年第一美術協会結成に参加、日本美術学校彫刻部教授となった。33年日展評議員。代表作品に「霊光」「母性」「眠」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田久継」の解説

吉田久継 よしだ-きゅうけい

1888-1963 大正-昭和時代の彫刻家。
明治21年12月12日生まれ。大正7年文展に初入選,9年「霊光」で帝展特選となり,のち帝展審査員。エッチングも手がけ,昭和4年洋風版画会創立に参加。日展評議員。昭和38年3月10日死去。74歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は久次。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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