吉見静江(読み)ヨシミ シズエ

20世紀日本人名事典 「吉見静江」の解説

吉見 静江
ヨシミ シズエ

大正・昭和期の社会事業家



生年
明治30(1897)年5月1日

没年
昭和47(1972)年1月3日

出生地
東京

学歴〔年〕
日本女子大学英文科〔大正8年〕卒

経歴
3歳で生母死去、叔母夫婦の養女となる。15歳の時養父が死去、これを機にキリスト教に傾倒し、大学卒業後は富山県立女子師範などで英語教師を務めた。大正10年男子出産、未婚の母となる。昭和2〜4年日本基督教婦人矯風会外人部セツルメント活動推進者として米国ニューヨーク社会事業学校に学ぶ。4年セツルメント興望館長。世界恐慌のただ中、貧窮する下町の人々救援のため夜間無料診療、授産場の開設、払い下げ米の販売、保育園児への給食などに活動。戦後22年厚生省児童局保育課長となり、保育所の増設など母子福祉事業の確立尽力。34年退職、その退職金で虚弱児施設茅ケ崎学園を開設した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉見静江」の解説

吉見静江 よしみ-しずえ

1897-1972 大正-昭和時代の社会事業家。
明治30年5月1日生まれ。英語教師をへて,昭和2年日本基督(キリスト)教婦人矯風会外人部のセツルメント活動推進者としてニューヨークの社会事業学校でまなぶ。戦後は厚生省児童局保育課長,母子福祉課長をつとめ,退職後茅ケ崎学園をつくった。昭和47年1月3日死去。74歳。東京出身。日本女子大卒。旧姓山口

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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