20世紀日本人名事典 「吉谷覚寿」の解説 吉谷 覚寿ヨシタニ カクジュ 明治・大正期の真宗学者 真宗大谷大学教授。 生年天保14年8月20日(1843年) 没年大正3(1914)年3月16日 出生地美濃国海津郡城山村(岐阜県) 経歴生家は真宗大谷派浄巌寺で、同派の高倉学寮で宗余乗を学ぶ。明治10年東京の大谷教校教授、14年東大講師となり、仏教学を講じる。18年大谷教校校長に就任、23年辞任し京都の高倉学寮教授となる。34年同派最高の学階の講師となり、44年真宗大谷大教授。明治期における代表的宗学者で、真宗聖典のほとんどすべてにわたって解釈書を出している。著書に「仏教総論」「明治諸宗綱要」「阿弥陀経講述」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉谷覚寿」の解説 吉谷覚寿 よしたに-かくじゅ 1843-1914 明治時代の仏教学者,僧。天保(てんぽう)14年8月11日生まれ。真宗大谷派の美濃(みの)(岐阜県)浄厳寺の住職。京都の東本願寺高倉学寮でまなび,東京大学講師などをへて,明治44年真宗大谷大(現大谷大)教授。教義の研究者として知られた。大正3年3月16日死去。72歳。美濃出身。著作に「三帖和讃講述」「六要鈔(しょう)講讃」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by