吉野朝子(読み)ヨシノ アサコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吉野朝子」の解説

吉野 朝子
ヨシノ アサコ


職業
女優

本名
関戸 かなめ

生年月日
明治40年 2月22日

出身地
京都府 京都市

学歴
京都女学校卒

経歴
大正15年政岡呑平プロに参加、昭和2年マキノプロ御室入社。小石栄一監督「女心紅椿」に片岡千恵蔵相手役。4年日活太秦入社。千恵蔵プロに応援「殺した人」「愛染地獄」全3篇。日活では伊藤大輔「続大岡政談・魔像篇第一」に大河内伝次郎共演、代表スターの一人に。沢田清とも「濡れ島」で共演。伊藤監督トーキ第1作「丹下左膳」第1篇に大河内と共演、代表作となった。千恵蔵プロで伊丹万作「闇討渡世」前後篇で千恵蔵と共演。9年からは不振で、10年フリーとなったが病気のため引退した。

没年月日
昭和14年 7月11日 (1939年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「吉野朝子」の解説

吉野 朝子
ヨシノ アサコ

大正・昭和期の女優



生年
明治40(1907)年2月22日

没年
昭和14(1939)年7月11日

出身地
京都市

本名
関戸 かなめ

学歴〔年〕
京都女学校卒

経歴
大正15年政岡呑平プロに参加、昭和2年マキノプロ御室入社。小石栄一監督「女心紅椿」に片岡千恵蔵の相手役。4年日活太秦入社。千恵蔵プロに応援「殺した人」「愛染地獄」全3篇。日活では伊藤大輔「続大岡政談・魔像篇第一」に大河内伝次郎と共演、代表スターの一人に。沢田清とも「濡れ島」で共演。伊藤監督トーキ第1作「丹下左膳」第1篇に大河内と共演、代表作となった。千恵蔵プロで伊丹万作「闇討渡世」前後篇で千恵蔵と共演。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉野朝子」の解説

吉野朝子 よしの-あさこ

1907-1939 昭和時代前期の女優。
明治40年2月22日生まれ。昭和2年マキノプロにはいり,室町三千代の名で片岡千恵蔵の相手役として活躍。吉野朝子と改名,日活太秦(うずまさ)にうつる。時代劇スター女優のひとりで,代表作に「丹下左膳」の櫛巻お藤。昭和14年7月11日死去。33歳。京都出身。京都女学校卒。本名は関戸かなめ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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