映画俳優。本名植木正義。群馬県生れ。ヒット作の一つに《七つの顔》があるが,遠山の金さん18本,多羅尾伴内11本,宮本武蔵10本,国定忠治9本,浅野内匠頭8本,大石内蔵助6本,机竜之介6本と,当り役の作品本数に明らかなように,まさしく〈七つの顔〉をもつ映画スターであった。それらに共通する個性の特徴は明朗さで,若いころの美剣士ぶりにはユーモアの気配があり,中年以降,豪快さを演ずるときはむろん,一転して虚無的な心情を演じても,どこか明るさを感じさせた。12歳で片岡少年劇に入る。1923年,小笠原映画研究所作品《三色すみれ》に映画初出演したが,映画は未公開に終わったらしい。その後,直木三十五から牧野省三に紹介され,27年,マキノ・プロに入社,片岡千恵蔵の名のもとに連続時代劇《万花地獄》で本格的に映画界へデビュー,時代劇スターとして脚光を浴びるが,28年,マキノを退社,片岡千恵蔵プロダクション(千恵プロ)を発足させた。最初の作品《天下太平記》は,脚本伊丹万作,監督稲垣浩で,ともに伊藤大輔から紹介された無名の新人である。当時,悲壮美をうたった時代劇が多い中,活気あふるる明朗時代劇として輝き,29年,千恵プロは京都嵯峨野にみずからのスタジオを設立,はなばなしい活躍期に入った。稲垣浩監督《番場の忠太郎・瞼の母》《弥太郎笠》,伊丹万作監督《国士無双》《刺青奇偶》《赤西蠣太》,マキノ正博監督《白夜の饗宴》,伊藤大輔監督《堀田隼人》,山中貞雄監督《風流活人剣》等々,数々のヒット作,名作を含め,10年間に92本の作品を生み出し,映画史に大きな足跡を残した。37年,千恵プロは解散,スタッフ,キャスト,従業員全員を伴って日活へ入社。マキノ正博監督《江戸の花和尚》,稲垣浩監督《宮本武蔵》三部作などに主演。戦中戦後の大映・東横時代を経て,51年,東映の設立に参加,東映の重鎮スターとして活躍した。〈遠山金四郎〉シリーズ,渡辺邦男および内田吐夢の監督で2度もシリーズ化された《大菩薩峠》(1953および1957-59),戦後初の《赤穂城》を含む〈忠臣蔵〉映画,そのほか〈新撰組〉もの,オールスター任俠時代劇,内田吐夢監督と組んだ《血槍富士》(1955),《黒田騒動》(1956)等々の時代劇のほか,大映時代の《七つの顔》(1947)にはじまる〈多羅尾伴内〉シリーズ,〈金田一耕助〉シリーズ,《奴の拳銃は地獄だぜ》(1958)などのギャング映画と,現代劇も数多く,その千変万化ぶりは東映映画の魅力を象徴したといってよい。
執筆者:山根 貞男
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映画俳優。本名植木正義。群馬県生まれ。9歳で11世片岡仁左衛門(にざえもん)主宰の片岡少年劇に入り、のち片岡千栄蔵の芸名で歌舞伎(かぶき)俳優となる。1927年(昭和2)マキノプロへ入社、千恵蔵と改名して『万花地獄』でデビュー、以来美男スターとして人気を獲得した。翌年、片岡千恵蔵プロダクションを創設(1937解散)、伊丹万作(いたみまんさく)、稲垣浩(ひろし)らの監督と組み、『瞼(まぶた)の母』『一本刀土俵入』(1931)、『国士無双』(1932)、『赤西蠣太(かきた)』(1936)など、時代劇映画史に残る佳作を生んだ。第二次世界大戦後は、『七つの顔』に始まる「多羅尾伴内(たらおばんない)」シリーズ、『いれずみ判官』に始まる「判官」シリーズなど娯楽映画に活躍する一方、内田吐夢(とむ)監督の『血槍(ちやり)富士』(1955)、『大菩薩(だいぼさつ)峠』三部作(1957~59)などに風格ある演技をみせた。
[長崎 一]
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昭和期の俳優
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…やがて第2次世界大戦の進展とともに,映画興行も制限され,外国活劇のヒットは見られたものの,日本の活劇は,わずかに黒沢明の柔道映画《姿三四郎》(1943),《続・姿三四郎》(1945)を例外として,戦争活劇が主体になっていった。
[戦後の活劇]
戦後の活劇の隆盛をもたらしたのは新会社,東映で,前身の東横時代から,占領軍による時代劇規制のもと,時代劇スターが現代劇に出演,片岡千恵蔵の《多羅尾伴内》シリーズ(1947‐60)や《にっぽんGメン》(1948),市川右太衛門の《ジルバの鉄》(1950),両者共演の《難船崎の決闘》(1950)などがつくられ,これらの探偵活劇や暗黒街活劇は〈時代劇王国〉東映のもう一つの顔になった。1950年代から60年代にかけて,探偵活劇の流れからは《警視庁物語》シリーズ(1955‐64)や《点と線》(1958),《黄色い風土》(1961)などの犯罪・推理ドラマが生まれ,暗黒街活劇の系譜としては,片岡千恵蔵の《奴の拳銃は地獄だぜ》(1958),鶴田浩二主演《花と嵐とギャング》(1961),《誇り高き挑戦》(1962),高倉健主演《恋と太陽とギャング》(1962),《暴力街》《恐喝》(ともに1963)などがつくられ,小林恒夫,石井輝男,深作欣二らの活劇監督が輩出した。…
… 最初の映画化は日活の《大菩薩峠》二部作(1935‐36)で,監督は稲垣浩(第1部には山中貞雄と荒井良平が応援監督),机竜之助には大河内伝次郎,お浜には入江たか子が扮した。第2回は東映の《大菩薩峠》三部作(1953)で,監督は渡辺邦男,机竜之助を片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を三浦光子が演じた。第3回は同じく東映の《大菩薩峠》三部作(1957‐59)で,監督は内田吐夢(とむ),机竜之助を前作と同じ片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を長谷川裕見子が演じた。…
…大井川の川止めにあった宿場を舞台に,さまざまな人々の姿が,大金を所持する者や挙動不審の者をめぐる泥棒騒ぎ,女衒(ぜげん)に売られていく娘の身の上などの数々の挿話を通じていわゆる〈グランド・ホテル形式〉で描かれ,そのなかで,若殿を殺された槍持ちの権八が数名の侍を相手に闘い,仇討を果たすに至るさまをつづる。抑揚のきいた演出と権八役の片岡千恵蔵の名演とによって,前半,酒乱ながらも人のいい若殿に対する権八の思いやりがあたたかく描き出され,ラストは一転,えんえん長い凄絶(せいぜつ)な死闘のなか,槍をふるって闘う権八の憤怒が,下層の人間,追いつめられた者のエネルギーの爆発としてくりひろげられる。井上金太郎原作・脚色・監督,月形竜之介主演《道中秘記》(1927)の映画化で,第2次世界大戦中から9年間の中国生活を経て,1953年に帰国した内田吐夢の戦後第1作。…
※「片岡千恵蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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