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片岡千恵蔵 かたおかちえぞう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

片岡千恵蔵
かたおかちえぞう

[生]1903.1.20. 群馬
[没]1983.3.31. 東京
映画俳優。本名植木正義。片岡少年劇を経て 1927年マキノプロに入社。『萬花地獄』などに出演,28年千恵蔵プロを設立。伊丹万作,稲垣浩らとトリオを組み,時代劇の人気スターとなった。その後日活,大映を経て東映に移った。代表作『赤西蠣太』 (1936) ,『宮本武蔵』 (3部作,40) ,『血槍富士』 (55) ,『花の吉原百人斬り』 (60) など。

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デジタル大辞泉の解説

かたおか‐ちえぞう〔かたをかちヱザウ〕【片岡千恵蔵】

[1903~1983]映画俳優。本名、植木正義。群馬の生まれ。昭和の初め、伊丹万作稲垣浩とともに千恵蔵プロを設立し、以後時代劇を中心に数多くの映画に主演した。代表作に「国士無双」「宮本武蔵」「血槍富士」など。

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百科事典マイペディアの解説

片岡千恵蔵【かたおかちえぞう】

映画俳優。本名植木正義。群馬県生れ。1927年に片岡少年劇から映画界入り。翌年片岡千恵蔵プロダクションを設立,伊丹万作稲垣浩監督とトリオを組み,新鮮な時代劇スターとなる。
→関連項目嵐寛寿郎時代劇映画牧野省三

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

片岡千恵蔵 かたおか-ちえぞう

1904-1983 昭和時代の映画俳優。
明治37年1月20日生まれ。歌舞伎役者から映画界にはいり,片岡千恵蔵プロを創設,「赤西蠣太(かきた)」などを製作・主演。戦後は東映のスターとして「多羅尾伴内(たらお-ばんない)」「判官」シリーズなど娯楽映画に出演する一方,「血槍富士」「大菩薩峠」などに円熟した演技をみせた。昭和58年3月31日死去。79歳。群馬県出身。本名は植木正義。

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世界大百科事典 第2版の解説

かたおかちえぞう【片岡千恵蔵】

1904‐83(明治37‐昭和58)
映画俳優。本名植木正義。群馬県生れ。ヒット作の一つに《七つの顔》があるが,遠山の金さん18本,多羅尾伴内11本,宮本武蔵10本,国定忠治9本,浅野内匠頭8本,大石内蔵助6本,机竜之介6本と,当り役の作品本数に明らかなように,まさしく〈七つの顔〉をもつ映画スターであった。それらに共通する個性の特徴は明朗さで,若いころの美剣士ぶりにはユーモアの気配があり,中年以降,豪快さを演ずるときはむろん,一転して虚無的な心情を演じても,どこか明るさを感じさせた。

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大辞林 第三版の解説

かたおかちえぞう【片岡千恵蔵】

1903~1983) 映画俳優。本名、植木正義。群馬県生まれ。歌舞伎から映画に転じ、時代劇を中心に長く第一線のスターとして活躍。代表作「国士無双」「赤西蠣太」「血槍富士」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

片岡千恵蔵
かたおかちえぞう
(1903―1983)

映画俳優。本名植木正義。群馬県生まれ。9歳で11世片岡仁左衛門(にざえもん)主宰の片岡少年劇に入り、のち片岡千栄蔵の芸名で歌舞伎(かぶき)俳優となる。1927年(昭和2)マキノプロへ入社、千恵蔵と改名して『万花地獄』でデビュー、以来美男スターとして人気を獲得した。翌年、片岡千恵蔵プロダクションを創設(1937解散)、伊丹万作(いたみまんさく)、稲垣浩(ひろし)らの監督と組み、『瞼(まぶた)の母』『一本刀土俵入』(1931)、『国士無双』(1932)、『赤西蠣太(かきた)』(1936)など、時代劇映画史に残る佳作を生んだ。第二次世界大戦後は、『七つの顔』に始まる「多羅尾伴内(たらおばんない)」シリーズ、『いれずみ判官』に始まる「判官」シリーズなど娯楽映画に活躍する一方、内田吐夢(とむ)監督の『血槍(ちやり)富士』(1955)、『大菩薩(だいぼさつ)峠』三部作(1957~59)などに風格ある演技をみせた。[長崎 一]

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世界大百科事典内の片岡千恵蔵の言及

【活劇映画】より

…やがて第2次世界大戦の進展とともに,映画興行も制限され,外国活劇のヒットは見られたものの,日本の活劇は,わずかに黒沢明の柔道映画《姿三四郎》(1943),《続・姿三四郎》(1945)を例外として,戦争活劇が主体になっていった。
[戦後の活劇]
 戦後の活劇の隆盛をもたらしたのは新会社,東映で,前身の東横時代から,占領軍による時代劇規制のもと,時代劇スターが現代劇に出演,片岡千恵蔵の《多羅尾伴内》シリーズ(1947‐60)や《にっぽんGメン》(1948),市川右太衛門の《ジルバの鉄》(1950),両者共演の《難船崎の決闘》(1950)などがつくられ,これらの探偵活劇や暗黒街活劇は〈時代劇王国〉東映のもう一つの顔になった。1950年代から60年代にかけて,探偵活劇の流れからは《警視庁物語》シリーズ(1955‐64)や《点と線》(1958),《黄色い風土》(1961)などの犯罪・推理ドラマが生まれ,暗黒街活劇の系譜としては,片岡千恵蔵の《奴の拳銃は地獄だぜ》(1958),鶴田浩二主演《花と嵐とギャング》(1961),《誇り高き挑戦》(1962),高倉健主演《恋と太陽とギャング》(1962),《暴力街》《恐喝》(ともに1963)などがつくられ,小林恒夫,石井輝男,深作欣二らの活劇監督が輩出した。…

【大菩薩峠】より

… 最初の映画化は日活の《大菩薩峠》二部作(1935‐36)で,監督は稲垣浩(第1部には山中貞雄と荒井良平が応援監督),机竜之助には大河内伝次郎,お浜には入江たか子が扮した。第2回は東映の《大菩薩峠》三部作(1953)で,監督は渡辺邦男,机竜之助を片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を三浦光子が演じた。第3回は同じく東映の《大菩薩峠》三部作(1957‐59)で,監督は内田吐夢(とむ),机竜之助を前作と同じ片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を長谷川裕見子が演じた。…

【血槍富士】より

…大井川の川止めにあった宿場を舞台に,さまざまな人々の姿が,大金を所持する者や挙動不審の者をめぐる泥棒騒ぎ,女衒(ぜげん)に売られていく娘の身の上などの数々の挿話を通じていわゆる〈グランド・ホテル形式〉で描かれ,そのなかで,若殿を殺された槍持ちの権八が数名の侍を相手に闘い,仇討を果たすに至るさまをつづる。抑揚のきいた演出と権八役の片岡千恵蔵の名演とによって,前半,酒乱ながらも人のいい若殿に対する権八の思いやりがあたたかく描き出され,ラストは一転,えんえん長い凄絶(せいぜつ)な死闘のなか,槍をふるって闘う権八の憤怒が,下層の人間,追いつめられた者のエネルギーの爆発としてくりひろげられる。井上金太郎原作・脚色・監督,月形竜之介主演《道中秘記》(1927)の映画化で,第2次世界大戦中から9年間の中国生活を経て,1953年に帰国した内田吐夢の戦後第1作。…

※「片岡千恵蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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