日本歴史地名大系 「名取村」の解説 名取村なとりむら 山形県:村山市名取村[現在地名]村山市名取・楯岡鶴(たておかつる)ヶ町(ちよう)西を最上川が北流し、北西は大淀(おおよど)村、南東は楯岡村。最上氏領から元和八年(一六二二)山形藩領、寛永二〇年(一六四三)幕府領、安政二年(一八五五)以降松前藩領。寛永一三年の保科氏領知目録の高一千二九六石余。正保郷帳では田方一千八五石余・畑方二一〇石余。幕末の村山郡石高帳では高一千六二八石余。北端に境(さかい)ノ目(め)河岸が設けられ、当村・大淀村・下長崎(しもながさき)村・山(たもやま)村・湯野沢(ゆのさわ)村・本飯田(もといいだ)村・土生田(とちゆうだ)村・林崎(はやしざき)村の年貢米を積出した。弘化四年(一八四七)の御城米川下運賃之事(荒井文書)によれば、運賃は米一〇〇俵につき四俵、ほかに五厘増で、私領米の川下運賃はこれより一俵増であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by