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那須与一 なすのよいち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

那須与一
なすのよいち

鎌倉時代初期の武士。下野国那須の鎌倉御家人。太郎資高の子。名,宗高。源平合戦(→治承の内乱)の際,源義経の軍に従い,元暦2(1185)年2月讃岐屋島の戦いで海上に舟を浮かべた平家の軍勢が,小舟の竿に旭日の扇を掲げて漕ぎ出したのを見て,義経の命令でこれを射落とした話は有名。

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那須与一
なすのよいち

平曲の曲名。叙事的な拾物 (ひろいもの) の代表曲。源平屋島の合戦のとき,海上の平家側は竿の先に扇を立てて源氏側に射落せるかと挑発するが,選ばれた若武者那須与一宗高がこれをみごとに射落したという話に基づく。

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デジタル大辞泉の解説

なす‐の‐よいち【那須与一】

鎌倉初期の武将。下野(しもつけ)の人。名は宗高。与市・余市とも。源義経に従い、文治元年(1185)屋島の戦いで、平家の扇の的を弓で射落とした話で有名。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

那須与一【なすのよいち】

鎌倉初期の武将。下野(しもつけ)那須の人。生没年不詳。名は宗高。資高(すけたか)の子。源平合戦の際源義経に属し,1185年屋島の戦に平家方が舟にかかげた扇の的を射落として敵味方の称賛を得た話は有名。
→関連項目笠懸

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

那須与一 なすの-よいち

?-? 平安後期-鎌倉時代の武士。
下野(しもつけ)(栃木県)那須荘を領した那須資隆(高)の子。弓の名手。「平家物語」によれば,元暦(げんりゃく)2年(1185)の源平屋島の戦いで平家方の船上にたてられた扇の的を馬上から射おとし,敵味方から賞賛された。能や歌舞伎でも知られるが,実像はあきらかではない。名は宗隆(高)。通称は余一,与市,余市ともかく。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

那須与一

生年:生没年不詳
鎌倉前期の武士。実名は宗高(宗隆)。下野国那須荘を所領とした資隆(資高)の11男とされ,余一とも書く。弓矢にすぐれ,文治1(1185)年の屋島合戦の際,海上に浮かぶ平家の船に立てられた扇の的を馬上から一矢で射とめて敵味方から喝采をあびた話は『平家物語』の名場面として有名。この話は幸若舞曲や浄瑠璃に脚色されて与一の名は広く人々に親しまれた。しかし,『吾妻鏡』はもとより,確実な史料にその名はみえず,伝説上の人物としての側面が強い。<参考文献>大野信一『那須与一』

(野口実)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なすのよいち【那須与一】

鎌倉前期の武士。生没年未詳。《那須系図》によると,藤原北家の末裔須藤氏の一族。下野国那須の住人,那須太郎資隆の子。名は宗隆。《平家物語》諸本等では,この父子の名に異同が多い。元暦2年(1185)2月18日屋島合戦のおり,平家方から優美な女房を乗せ棹に扇を立てた小舟が現れて陸の源氏方へ手招きした。源義経の扇を射落とせとの命を奉じた那須与一は,目を閉じて八幡大菩薩や下野国に鎮座する日光権現などの神々に祈念し,射損じたときは自害する覚悟を決める。

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大辞林 第三版の解説

なすのよいち【那須与一】

鎌倉初期の源氏の武将。名は宗高。与一は通称。与市・余市とも。下野しもつけ国那須の人。弓の名手。屋島の合戦で平家が舟に掲げた扇の的を一矢で射た話が平家物語にあり、後世、謡曲・浄瑠璃などに脚色された。生没年未詳。

出典|三省堂
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