朝日日本歴史人物事典 「名和顕忠」の解説
名和顕忠
室町・戦国時代の武将,肥後国(熊本県)八代郡古麓城主。前当主義興の甥か。幸松丸,弾正少弼,伯耆守。幼少のため家臣の支持を得られず,相良長続を頼って一時球磨へ亡命。長続の援助下に寛正6(1465)年八代を回復,家督を相続した。その代償として八代高田郷を長続に譲渡。後にこれを回復しようとして敗れ,文明16(1484)年古麓城を失う。永正1(1504)年菊池能運らに敗れ,一度は奪還した古麓のみならず八代全域を失うが,能運の死後,混乱に乗じて宇土城を手に入れ以後本拠とした。その後は八代郡豊福城を巡って相良氏と攻防を繰り返すがその執念はすさまじく,彼の遺志は,子武顕に受け継がれた。永正14年ごろのことである。<参考文献>『相良家文書』
(柳田快明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報