朝日日本歴史人物事典 「向山誠斎」の解説
向山誠斎
生年:享和1(1801)
江戸時代の考証学者。幕臣。江戸の人。名は源太夫,諱 は篤,字は慧典。はじめ偶堂と号し,のち誠斎を用いた。漢詩人黄村はその養子。江戸幕府の奥右筆から勘定組頭に転じ,安政2(1855)年5月に箱館奉行支配組頭。翌年赴任先の宗谷で没す。文学や故事考証を好み天保年間(1830~44)以後多数の文書,記録を集めて『誠斎雑記及雑綴』と総称される百余冊の史料集を編纂した。その他編述は風俗,内治,外交にまでおよび,安政初年までの幕府の法制・財政・人事・外交関係の文書・記録類を収録した『蠧余一得』,法制史料の『吏徴』,外交史である『接蕃年表』などを著した。見識があるうえ吏務にも長じていたので,旗本中では至極評判が高かったという。
(藤實久美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報