ばんどう‐ひこさぶろう【坂東彦三郎】
- 歌舞伎俳優。
- [ 一 ] 三世。八世市村羽左衛門の子。明和七年(一七七〇)三世彦三郎を襲名。和実と武道事にすぐれ、所作事も得意とした化政期の名優。宝暦四(一説に六年)~文政一一年(一七五四(または五六)━一八二八)
- [ 二 ] 五世。四世の養子。安政三年(一八五六)五世彦三郎を襲名。幕末から明治にかけての江戸の名優で、立役・女方・所作事のいずれにもすぐれていた。天保三~明治一〇年(一八三二‐七七)
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坂東彦三郎
ばんどうひこさぶろう
歌舞伎(かぶき)俳優。享保(きょうほう)~寛延(かんえん)期(1716~51)の名優を初世とし、現在まで8世代を数える。
[服部幸雄]
(1693―1751)上方(かみがた)の俳優だったが、円熟期は江戸の俳優として過ごし、2世市川団十郎、初世沢村宗十郎(そうじゅうろう)らと肩を並べる名優となった。実事(じつごと)、武道事(ぶどうごと)に優れた。2世(1741―68)は初世の子だが、早逝(そうせい)。
[服部幸雄]
(1754―1828)8世市村羽左衛門(うざえもん)の三男。1770年(明和7)3世を襲名。以後、江戸の立役(たちやく)として名をあげ、三都を通じての和実(わじつ)の名人とたたえられるに至る。『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』の由良之助(ゆらのすけ)、『菅原(すがわら)』の菅丞相(かんしょうじょう)は無類の当り役といわれた。1813年(文化10)11月、引退した。
[服部幸雄]
(1800―73)市村座の帳元福地茂兵衛の子。1816年(文化13)市村亀三郎から4世となる。幕末期の立役の名優として活躍、56年(安政3)に坂東亀蔵と改名し、明治初年まで舞台に出た。
[服部幸雄]
(1832―77)4世の養子。1856年坂東竹三郎から5世を襲名。容姿に優れ、声、台詞(せりふ)回しともによく、品があった。立役・敵役(かたきやく)・女方(おんながた)など、あらゆる役柄をこなしたが、とくに時代物の型物(かたもの)に優れ、彼の創造した演出で、5世尾上菊五郎(おのえきくごろう)を経て現代に伝承するものが多い。
[服部幸雄]
(1886―1938)5世尾上菊五郎の次男、6世尾上栄三郎(えいざぶろう)が坂東家の養子になり、1915年(大正4)に6世を襲名。実盛(さねもり)、光秀(みつひで)、意休(いきゅう)、『近江源氏(おうみげんじ)』の和田兵衛など、時代物の重厚な役に当り役がある。
[服部幸雄]
(1916―2001)6世の長男。1942年(昭和17)7世坂東薪水(しんすい)から7世を襲名。さらに55年(昭和30)17世市村羽左衛門を襲名した。
[服部幸雄]
(1943― )7世の長男。1980年2世坂東亀蔵から8世彦三郎を襲名。さわやかな口跡の立役である。
[服部幸雄]
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坂東彦三郎 (ばんどうひこさぶろう)
歌舞伎俳優。現在まで8世代をかぞえる江戸歌舞伎界の名門の一。俳名は代々薪水,現在の屋号は音羽屋。(1)初世(1693-1751・元禄6-宝暦1) 1706年(宝永3)初舞台。翌07年11月に坂東菊松から彦三郎と改名した。15年(正徳5)正月に《大経師》の茂兵衛役が出世芸となった。40年(元文5)冬に江戸へ下り,2世市川団十郎,初世沢村宗十郎,初世大谷広次とともに四天王として名をあげた。小柄ながら容姿,口跡にすぐれ,実事,武道事を得意とした。(2)2世(1741-68・寛保1-明和5) 初世の子で,1751年(宝暦1)に彦三郎をつぎ,若手の人気者であったが早世。(3)3世(1754-1828・宝暦4-文政11) 8世市村羽左衛門の子,1770年(明和7)に彦三郎襲名。寛政(1789-1801)中期から実力を発揮し,《菅原》の菅丞相,《忠臣蔵》の由良助をはじめとする和実の名人といわれた。1811年(文化8)に江戸の舞台を引退,翌々年には関西で引退興行後剃髪して江戸へ帰り,半草庵楽善と称して余生を送った。(4)4世(1800-73・寛政12-明治6) 市村座の帳元福地茂兵衛の子。1812年(文化9),市村竹三郎の名で初舞台,翌年市村亀三郎と改名,16年11月に3世彦三郎の養子となり彦三郎をついだ。文政(1818-30)から安政(1854-60)にかけての立役の第一人者として活躍したが,1856年坂東亀蔵と改名,明治初年まで舞台をつとめた。(5)5世(1832-77・天保3-明治10) 4世の養子。1856年(安政3)に坂東竹三郎から彦三郎をついだ。容姿にすぐれ品があり,すべての役をこなしたが,とくに時代物の立役がよかった。彼の創演の演出は5世尾上菊五郎を経て現在に伝わるものが多い。流行の草双紙《偐紫(にせむらさき)田舎源氏》に描かれた主人公光氏は彼の似顔絵で,これによってますます人気を高めた。(6)6世(1886-1938・明治19-昭和13) 5世尾上菊五郎の次男。1896年1月尾上英造の名で明治座で初舞台,父の没後1903年3月6世尾上栄三郎となり,09年坂東家の養子となって15年4月に彦三郎をついだ。和田兵衛,意休など重厚な役に適した。(7)7世 17世市村羽左衛門の前名。(8)8世(1943(昭和18)- ) 7世の長男。1980年2月2世亀蔵から彦三郎をついだ。
執筆者:林 京平
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坂東 彦三郎(6代目)
バンドウ ヒコサブロウ
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 本名
- 坂東 英造
- 別名
- 前名=尾上 栄三郎(6代目)(オノエ エイザブロウ),俳号=梅朝,薪水,楽善
- 屋号
- 音羽屋
- 生年月日
- 明治19年 10月12日
- 出生地
- 東京・日本橋浜町
- 経歴
- 明治29年明治座で尾上英造を名乗り初舞台。36年6代尾上栄三郎と改め歌舞伎座で「曽我対面」の八幡三郎役。42年坂東家に養子入り。大正4年市村座で6代目彦三郎襲名、「助六」の意休などを披露。一時独立したが、主に兄6代目尾上菊五郎一座に属した。時代物の脇役、老け役が得意で当たり役は「近江源氏」の和田兵衛、「太功記」光秀など。故実芸談に明るく、余技の時計研究家で有名。
- 没年月日
- 昭和13年 12月28日 (1938年)
- 家族
- 父=尾上 菊五郎(5代目),兄=尾上 菊五郎(6代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
坂東 彦三郎(6代目)
バンドウ ヒコサブロウ
明治〜昭和期の歌舞伎俳優
- 生年
- 明治19(1886)年10月12日
- 没年
- 昭和13(1938)年12月28日
- 出生地
- 東京・日本橋浜町
- 本名
- 坂東 英造
- 別名
- 前名=尾上 栄三郎(6代目)(オノエ エイザブロウ),俳号=梅朝,薪水,楽善
- 屋号
- 音羽屋
- 経歴
- 明治29年明治座で尾上英造を名乗り初舞台。36年6代尾上栄三郎と改め歌舞伎座で「曽我対面」の八幡三郎役。42年坂東家に養子入り。大正4年市村座で6代目彦三郎襲名、「助六」の意休などを披露。一時独立したが、主に兄6代目尾上菊五郎一座に属した。時代物の脇役、老け役が得意で当たり役は「近江源氏」の和田兵衛、「太功記」光秀など。故実芸談に明るく、余技の時計研究家で有名。
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坂東彦三郎(初代)
没年:寛延4.1.1(1751.1.27)
生年:元禄6(1693)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名薪水。屋号万屋。大坂の立役篠塚次郎左衛門の甥とも,「山城伏見の武士の子」とも,「相州足柄下郡江浦の生まれ」ともいう。初め江戸で子役の修業をし,宝永3(1706)年,坂東菊松の名で大坂での初舞台を踏む。同4年,元服して彦三郎と改名,立役として上方の舞台を勤めた。享保12(1727)年から都合3回江戸に下り,凜々しい身のこなしと堅い芸風で好評を得て,2代目市川団十郎,初代沢村宗十郎,初代大谷広次らと四天王と並び称された。小柄ながらも容姿にすぐれ,口跡もよく,実事,武道事を得意とした。2代目彦三郎は彼の息子だが,28歳で早世した。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,『古今役者大全』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
坂東彦三郎(5代)
没年:明治10.10.13(1877)
生年:天保3.10(1832)
幕末明治初期の歌舞伎役者。俳名薪子,薪水など。屋号音羽屋。幼名銀蔵。江戸生まれ。天保11(1840)年4代目彦三郎の養子となり,のちに子供芝居の座長となる。初名初代坂東鶴之助,後名初代坂東竹三郎。安政3(1856)年彦三郎を襲名。4代目中村芝翫と並んで幕末から明治初年の劇界の最高位に立ち,「業は彦三郎,人気は芝翫」といわれた。通称「名人彦三郎」。容姿口跡に恵まれ,芸風は上品にして巧緻,芸域が広く脚本の理解力も優れ,古典物でも「彦三郎型」と呼ばれる演出を今日に残している。彦三郎の名跡は,昭和55(1980)年に襲名した8代目におよぶ。<参考文献>伊原敏郎『明治演劇史』,関根黙庵「5代目坂東彦三郎」(『演芸画報』1915年5月号)
坂東彦三郎(3代)
没年:文政11.2.18(1828.4.2)
生年:宝暦4(1754)
江戸中・後期の歌舞伎役者。俳名橘子・薪水。別号楽善坊,半草庵。屋号万屋,音羽屋。8代目市村羽左衛門の3男。宝暦8(1758)年市村座の若太夫として名がみえ,翌9年子役で初舞台。明和7(1770)年市村座で3代目彦三郎を襲名し,若衆形を勤める。安永8(1811)年元服して立役となる。師の初代尾上菊五郎の面影があり,和実,所作事を得意とした。文化8(1811)年に江戸で,同10年に大坂,京都で一世一代を演じて引退。そのまま京都黒谷で剃髪して江戸に帰り,半草庵楽善と号して本所原庭に隠居して余生を送った。書画,俳諧,茶道を嗜む風流人であった。<参考文献>『作者年中行事』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
坂東彦三郎(4代)
没年:明治6.11.14(1873)
生年:寛政12(1800)
幕末明治期の歌舞伎役者。俳名薪水,のち楽善。屋号音羽屋。江戸市村座の帳元福地茂兵衛の子。文化9(1812)年市村座で市村竹三郎の名で初舞台,翌年亀三郎と改名。同13年,先代の養子となって彦三郎を襲名する。文政末年から名古屋,大坂,伊勢,備中宮内,尾道の芝居に出勤。天保6(1835)年江戸へ戻る。安政3(1856)年,養子の坂東竹三郎に彦三郎の名を譲り,自らは坂東亀蔵と改名。再び上方へのぼり,京都,大坂,伊勢,金刀毘羅,宮島などの芝居を勤めた。明治4(1871)年3月一世一代を勤めて引退。武道事,実事,所作事にすぐれ,また実悪,老役もよくした。彦三郎の名跡は,現代の8代目まで続いている。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
坂東彦三郎(3代) ばんどう-ひこさぶろう
1754-1828 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
宝暦4年生まれ。8代市村羽左衛門(うざえもん)の3男。明和7年(1770)3代を襲名。和実の名人といわれ,当たり役は「菅原」の菅丞相(かんしょうじょう),「忠臣蔵」の由良之助(ゆらのすけ)。文化10年(1813)京都,大坂の舞台を最後に引退。文政11年2月18日死去。75歳。江戸出身。初名は市村吉五郎。俳名は橘子,薪水。号は半草庵楽善。屋号は万(よろず)屋,音羽屋。
坂東彦三郎(6代) ばんどう-ひこさぶろう
1886-1938 明治-昭和時代前期の歌舞伎役者。
明治19年10月12日生まれ。5代尾上菊五郎の3男。坂東家の養子となり,大正4年6代を襲名。時代物の重厚な役を得意とし,「助六」の意休(いきゅう),「太功記」の光秀などの当たり役がある。昭和13年12月28日死去。53歳。東京出身。初名は尾上英造。前名は6代尾上栄三郎。俳名は薪水,楽善など。屋号は音羽屋。
坂東彦三郎(4代) ばんどう-ひこさぶろう
1800-1873 江戸後期-明治時代の歌舞伎役者。
寛政12年生まれ。江戸市村座の帳元福地茂兵衛の子で,3代坂東彦三郎の甥(おい)。文化13年(1816)3代の養子となり,4代を襲名。立役(たちやく)として活躍。のち坂東亀蔵と改名した。明治6年11月14日死去。74歳。江戸出身。初名は市村竹三郎。前名は市村亀三郎。俳名は薪水,楽善。屋号は音羽屋。
坂東彦三郎(5代) ばんどう-ひこさぶろう
1832-1877 江戸後期-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)3年10月生まれ。4代坂東彦三郎の養子。安政3年(1856)5代を襲名。容姿がよく,上品で,音声にすぐれ,天分にめぐまれる。和実,実悪,女方など幅ひろくこなした。明治10年10月13日死去。46歳。江戸出身。初名は坂東鶴之助。前名は坂東竹三郎。俳名は薪子,薪水など。屋号は音羽屋。
坂東彦三郎(初代) ばんどう-ひこさぶろう
1693-1751 江戸時代中期の歌舞伎役者。
元禄(げんろく)6年生まれ。上方で活躍したが,のち江戸にいき2代市川団十郎,初代沢村宗十郎,初代大谷広次とともに四天王とよばれた。「大経師」の茂兵衛が出世役となり,実事,武道事を得意とした。寛延4年1月1日死去。59歳。前名は坂東菊松。俳名は薪水。屋号は万(よろず)屋。
坂東彦三郎(2代) ばんどう-ひこさぶろう
1741-1768 江戸時代中期の歌舞伎役者。
寛保(かんぽう)元年生まれ。初代坂東彦三郎の子。宝暦元年(1751)2代を襲名。若衆方で容姿にすぐれ,若女方の2代瀬川菊之丞につぐ江戸の花形役者として人気をえたが,明和5年5月4日死去。28歳。江戸出身。前名は2代坂東菊松。俳名は薪水。屋号は万(よろず)屋。
坂東彦三郎(8代) ばんどう-ひこさぶろう
1943- 昭和後期-平成時代の歌舞伎役者。
昭和18年3月31日生まれ。17代市村羽左衛門の長男。昭和25年4代坂東亀三郎を名のって「寺子屋」で初舞台。30年映画「路傍の石」に吾一役で出演。8代坂東薪水,2代坂東亀蔵をへて,55年8代を襲名した。東京出身。暁星学園高卒。本名は輝彦。屋号は音羽屋。
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坂東彦三郎(5世)
ばんどうひこさぶろう[ごせい]
[生]天保3(1832)
[没]1877
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。4世坂東彦三郎の養子。安政3 (1856) 年市村座で襲名。器用で何役でもこなし,1873年守田座の座頭。『義経千本桜』の弥助,『金閣寺』の大膳,『絵本太功記』の光秀などを得意とした。4世中村芝翫と並ぶ幕末・明治前期の名優。
坂東彦三郎(3世)
ばんどうひこさぶろう[さんせい]
[生]宝暦4(1754)
[没]文化8(1811)
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。8世市村羽左衛門の子。明和7 (1770) 年襲名。和実と武道にすぐれ,所作事も堪能。由良之助と菅丞相を得意とした。晩年仏門に入った。
坂東彦三郎(4世)
ばんどうひこさぶろう[よんせい]
[生]寛政12(1800)
[没]1873
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。市村座帳元福地茂兵衛の子。3世彦三郎の養子となり,文化 13 (1830) 年襲名。安政3 (1856) 年1世坂東亀蔵と改名。華に乏しかったが軽妙さ無類という。
坂東彦三郎(1世)
ばんどうひこさぶろう[いっせい]
[生]寛文13(1673)
[没]寛延4(1751)
歌舞伎俳優。屋号萬屋。篠崎国松から宝永5 (1708) 年坂東彦三郎と改名。実事の名手で武道,太刀打ちの名人。『仮名手本忠臣蔵』4段目に彦三郎型を残した。
坂東彦三郎(6世)
ばんどうひこさぶろう[ろくせい]
[生]1885
[没]1938
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。5世尾上菊五郎の3男,6世菊五郎の弟。本名坂東英造。 1915年市村座で6世を襲名。敵役や狂言舞踊を得意とした。
坂東彦三郎(8世)
ばんどうひこさぶろう[はっせい]
[生]1943.3.31.
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。 17世市村羽左衛門の子。本名坂東輝彦。 1980年2世市村亀蔵より襲名。中堅の立役として活躍。
坂東彦三郎(7世)
ばんどうひこさぶろう[ななせい]
「市村羽左衛門(17世)」のページをご覧ください。
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坂東 彦三郎(6代目) (ばんどう ひこさぶろう)
生年月日:1886年10月12日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1938年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の坂東彦三郎の言及
【市村羽左衛門】より
…女方・二枚目などを得意とした。(17)17代・名義12世(1916(大正5)‐ )6世[坂東彦三郎]の子として生まれた。坂東亀三郎,薪水,7世彦三郎を経て,55年羽左衛門をつぐ。…
※「坂東彦三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」