吹浦村(読み)ふくらむら

日本歴史地名大系 「吹浦村」の解説

吹浦村
ふくらむら

[現在地名]遊佐町吹浦

菅野すがの村の北西にあり、吹浦川河口右岸に位置し、庄内海岸に面している。内郷うちごう街道とはま街道が当村で合流する。南部の宿町しゆくまちと北部の横町よこまちとからなる。東部鳥海山麓一帯は縄文時代の集落跡が多く、小長坂こながさか大黒坂だいこくざか・吹浦Aなど一九の遺跡がある。天正一八年(一五九〇)以降のものと推定される豊臣秀吉朱印状(津軽文書)に上杉景勝分領として「ふくら」とみえる。慶長一六年(一六一一)の両所山仏供田畠検地帳(山形県史)では田六千七一五束刈余、うち本田三千三一束刈余(年貢高二五石五斗余)・出田二千一八〇束刈(同一六石五斗余)・苗代二五四束刈(同二石五斗余)・興田一千一〇〇束刈(同一〇石余)・興出田一五〇束刈(同一石二斗余)、ほかに「さし出外」として畠米四斗。居屋敷二九間(年貢高一石一斗)、家数二九。名請人に肝煎左京介・学頭坊・海前寺・戸内大夫・大教坊などの名がみえる。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高二五石余。同年の庄内寺社領目録には吹浦両所として高一四二石余とある。寛永元年庄内高辻帳では高一五六石余。延宝九年(一六八一)の庄内寺社領高付帳に両所山大物忌おおものいみ大明神社領として一三〇石余とみえる。正保三年(一六四六)の庄内三郡左沢浮役帳に吹浦村として鮭役銀一三匁、御役塩吹浦横町二五俵、同宿町一五俵とあるが、製塩は寛文一二年(一六七二)以後出水のため廃止となった(「書付」酒井家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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