吾妻 ひな子
アヅマ ヒナコ
- 職業
- 漫談家
- 本名
- 杉森 芙美子
- 旧名・旧姓
- 米沢
- 生年月日
- 大正13年 8月21日
- 出生地
- 鳥取県 鳥取市材木町
- 経歴
- 父である浅田家日佐治の勧めで三味線や琴、日本舞踊を習う。小学校卒業後、浅田家小日奈を名乗り、父との漫才コンビで初舞台を踏む。一時、室町京子の名で歌手活動を行う。戦後、ラッパ劇団、玉松一郎劇団を経て、神田千恵子女剣劇一座に入り、座員だった鳳啓助と結婚(のち離婚)。吾妻ひな子の名で浮世亭夢丸、松鶴家光晴とコンビを組み、異色の取り合わせで好評を博したが、39年頃から三味線片手の一人漫談に転向。“おんな放談”を銘うって、甘い舌足らずの語り口の漫談で芸域を確立し、のんき節に乗せた世相風刺で人気を集めた。平成15年上方演芸の殿堂入り。
- 没年月日
- 昭和55年 3月8日 (1980年)
- 伝記
- さらば、愛しき芸人たち 矢野 誠一 著(発行元 文芸春秋 ’89発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
Sponserd by 
吾妻 ひな子
アヅマ ヒナコ
昭和期の漫談家
- 生年
- 大正13(1924)年8月21日
- 没年
- 昭和55(1980)年3月8日
- 出生地
- 鳥取県鳥取市材木町
- 本名
- 杉森 芙美子
- 旧姓(旧名)
- 米沢
- 経歴
- 父である浅田家日佐治の勧めで三味線や琴、日本舞踊を習う。小学校卒業後、浅田家小日奈を名のり、父との漫才コンビで初舞台を踏む。一時、室町京子の名で歌手活動を行う。戦後、ラッパ劇団、玉松一郎劇団を経て、神田千恵子女剣劇一座に入る。吾妻ひな子の名で浮世亭夢丸、松鶴家光晴とコンビを組み、異色の取り合わせで好評を博したが、39年頃から三味線片手の一人漫談に転向。“おんな放談”を銘うって、甘い舌足らずの語り口の漫談で芸域を確立し、のんき節に乗せた世相風刺で人気を集めた。平成15年上方演芸の殿堂入り。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
吾妻ひな子 あづま-ひなこ
1924-1980 昭和時代の漫才師,漫談家。
大正13年8月21日生まれ。高等小学校卒業後,浅田家朝日・小日奈の名の父娘コンビで売りだす。鳳(おおとり)啓助と結婚したが,離婚。吾妻ひな子と改名し,独り漫談で人気をえた。昭和55年3月8日死去。55歳。鳥取県出身。旧姓は米沢。本名は杉森芙美子。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
吾妻 ひな子 (あづま ひなこ)
生年月日:1924年8月21日
昭和時代の漫才師;漫談家
1980年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 