日本歴史地名大系 「向田村」の解説
向田村
こうだむら
現能登島町の中央部、南北にくびれた入江の北側に面した村。嘉吉三年(一四四三)八月の
戦国後期頃には温井兵庫尉の給地とされるが(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)、その後、天文(一五三二―五五)末年から永禄(一五五八―七〇)初年の守護畠山義綱による温井紹春暗殺を契機とした能登の内乱で温井一族がいったん没落したため、永禄元年九月一六日の伊夜比神社本殿造立棟札(伊夜比神社蔵)には地頭として池田掃部助がみえる。
向田村
むかだむら
向田村
むかだむら
向田村
むかたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報