「華頂要略」巻一四一の「諸門跡伝」に「妙法院 号新日吉門跡、本坊西塔、里坊在滑谷道南大仏殿東、寺領千六百三十三石余」とあり、妙法院の里坊は滑谷道南の大仏殿(現東山区方広寺)東、本坊は近江比叡山
「華頂要略」は恵亮から快修までを本覚院歴代とする。快修は「号本覚院、妙法院綾小路房祖師」とし、妙法院は快修の弟子昌雲以後に本覚院より分れたとする。一方「門葉記」の記す系譜は、妙法院より本覚院が分れたような記載をとるが、快修は応保二年(一一六二)と長寛二年(一一六四)の二度にわたり天台座主を務め、西塔の本覚院より出たことは明らかで、妙法院は昌雲の代に開かれたとする説が信憑性をもつ。ただ妙法院を本覚院の別号とする説もあり、妙法院がそれまで本覚院に付属していた院の名称を継承したことも考えられる(西塔僧坊記)。昌雲は後白河院に護持僧として帰依をうけ、元暦元年(一一八四)四月三日には「法皇御瘧病験者賞」として「聴牛車並新日吉検校、蓮華王院、法住寺御所、今御影堂等皇后御遺跡管領、永被付法脈」こととなった(華頂要略)。これにより、妙法院は現在地とほぼ同じ地の
昌雲に続いて実全が妙法院を号し、次の尊性法親王は綾小路宮を号した。尊性は後高倉院の第一皇子で、安貞元年(一二二七)天台座主に就いたことにより、妙法院は青蓮院門跡・梶井門跡と並ぶ地位を得るようになった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市東山区妙法院前側(まえかわ)町にある天台宗門跡(もんぜき)寺で、山門五箇室門跡の一つ。もと比叡山西塔(ひえいざんさいとう)妙香院に起源し、1160年(永暦1)法住寺離宮のそばに日吉山王(ひえさんのう)を勧請(かんじょう)したとき、護持僧として招かれた妙法院昌雲(しょううん)の住房として移し、これを新日吉(いまひえ)と称した。1164年(長寛2)後白河(ごしらかわ)法皇が法住寺殿内に建てた蓮華王院(れんげおういん)と、法住寺とを昌雲が管掌した。後を継いだ実全が1202年(建仁2)天台座主(ざす)となり初めて妙法院の号をたてた。高倉(たかくら)天皇第2子尊性法親王(そんしょうほっしんのう)が入寺し、1227年(安貞1)天台座主となり、綾小路(あやのこうじ)小坂に移建され、天台座主三門跡の一となる。以来法親王が入り、新日吉門跡、皇門跡、綾小路門跡などと称され、法住寺・蓮華王院の法燈(ほうとう)を嗣(つ)いだ。1467年(応仁1)の兵火で焼失後、1586年(天正14)豊臣(とよとみ)秀吉が法住寺跡に方広寺を創建、1614年(慶長19)豊臣秀頼(ひでより)によって鋳造された梵鐘(ぼんしょう)の銘文が徳川家康によって責められる。その紛議後、家康は常胤(つねたね)法親王を迎えて、1615年(元和1)ふたたび現在地に移転し、方広寺豊国廟(ほうこくびょう)と蓮華王院をも管領させ、寺領一千六百十三石を与え、寺域22万余坪を有し栄えた。現在は本堂、寝殿、護摩(ごま)堂、唐門(からもん)、大書院、小書院のほか、境外仏堂の蓮華王院(三十三間堂)などがすばらしい。庫裡(くり)(国宝)は桃山時代の豪壮な建築である。絹本着色後白河法皇御影、秋草蒔絵(まきえ)文台(ともに国重要文化財)、狩野永徳(かのうえいとく)・光信(みつのぶ)らの筆とされる金碧(きんぺき)障壁画のほか、多くの古文書類がある。
[塩入良道]
京都市東山区にある天台宗の門跡寺院。山号は南叡山。皇后門跡,新日吉(いまひえ)門跡とも称する。9世紀前期,延暦寺西塔の宝幢院検校恵亮(えりよう)を初代とし,天台座主快修のころから妙法院を称したという。快修の甥に当たる天台僧昌雲は,後白河法皇が創立した法住寺御所内の蓮華王院(三十三間堂)鎮守新日吉社の検校となり妙法院と号し,その門弟実全があとをついで天台座主となり,京都綾小路に自坊をかまえ正式に妙法院の号をたてた。ついで後高倉院皇子尊性法親王が天台座主となってここに住し,新日吉社,金剛念仏三昧院以下多数の寺院の検校職を兼ね,天台三門跡の一つとして勢力を振るった。1586年(天正14)豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建て壮大な千僧会の法要を営んだとき,妙法院がこれを管理しており,本坊は綾小路より当地に移っていた。豊臣氏滅亡後,蓮華王院,新日吉社,後白河法皇御影堂,方広寺大仏殿などすべて妙法院が管理することとなった。江戸時代の寺領は1600余石。1619年(元和5)東福門院の旧殿を移建したと伝える大書院は重要文化財,また庫裏もそのころの建築と伝え,国宝に指定されている。1663年(寛文3)尭恕法親王が当院より天台座主となり,新たに経蔵をたてて竜華蔵と称し,大いに寺運を興隆した。1863年(文久3)三条実美らが当院に会合し,いわゆる七卿落の出発地となった。多数の寺宝の中でも秀吉あてのポルトガル国印度副王信書(国宝)は有名。歴代門主の日記は《妙法院史料》として出版されている。
執筆者:村山 修一
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