呑海(読み)どんかい

改訂新版 世界大百科事典 「呑海」の意味・わかりやすい解説

呑海 (どんかい)
生没年:1265-1327(文永2-嘉暦2)

鎌倉時代の時宗の僧。遊行上人第4世。他阿弥陀仏と称した。はじめ有阿弥陀仏,また恵永とも号した。相模国俣野(またの)荘に豪族俣野五郎景平の弟として生まれる。長じて遊行上人第2世他阿弥陀仏真教の門に入り,京都七条の金光寺に住し,1319年(元応1)智得の譲をうけて遊行上人第4世となる。おもに西国を布教してまわるが,遊行上人の後継者争いのもつれから,25年(正中2)藤沢の地に兄景平の援助で寺を建ててここに住んだ。これがのちの時宗総本山清浄光(しようじようこう)寺である。呑海の系統の時宗を遊行派と呼び,時宗の中心勢力に発展した。法語集に《呑海上人法語》がある。
清浄光寺
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「呑海」の解説

呑海 どんかい

1265-1327 鎌倉時代の僧。
文永2年生まれ。相模(さがみ)(神奈川県)の地頭俣野景平(またの-かげひら)の弟。時宗遊行上人(ゆぎょうしょうにん)2世真教(しんきょう)にまなび,正安(しょうあん)3年京都七条に金光寺を創建。文保(ぶんぽ)3年智得(ちとく)の跡をつぎ遊行上人4世となる。真光(当麻(たいま)派)と対立し,相模藤沢に清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺)をひらき,遊行派の拠点とした。嘉暦(かりゃく)2年2月18日死去。63歳。号は有阿,他阿。法名は別に恵永。著作に「四代上人法語」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の呑海の言及

【時宗】より

…しかし南北朝時代に入ると,定住の僧が多くなり,教団の組織化が進んだ。真教の無量光寺は3世智得がついだが,智得と4世呑海の間に隙が生じたので,1325年(正中2)呑海は相模国の藤沢にあった極楽寺を再興して清浄光院と改めてそこに住んだ。5世安国のとき,この寺は一宗の本山となり,6世一鎮のときに清浄光(しようじようこう)寺と名を改めた。…

【清浄光寺】より

…俗称は遊行(ゆぎよう)寺。開山は他阿弥陀仏呑海,開基はその兄の俣野五郎景平。呑海は遊行上人第4世で,1319年(元応1)に嗣法してから7年間にわたり各地を遊行した。…

※「呑海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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