日本歴史地名大系 「金光寺」の解説
金光寺
きんこうじ
中近世を通じ、三岳山上
明徳五年(一三九四)正月一一日付沙弥威光(大中臣実宗)の金光寺衆徒宛文書(金光寺文書)によって建立(再建)に至る経過が知られる。ちなみに大中臣那珂氏は鎌倉末期に当地に来住したと伝える土豪で、佐々岐庄に勢力を伸長していた。
衆徒宛文書によれば当時蔵王権現神領
金光寺
こんこうじ
金光寺
こんこうじ
金光寺
こんこうじ
天正一一年(一五八三)峯城陥落の際、当寺も焼失、衰微したが、慶長三年(一五九八)曹洞宗の曲川によって再興され、同宗に転じた。
金光寺
こんこうじ
金光寺
こんこうじ
金光寺
こんこうじ
金光寺
こんこうじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報