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清浄光寺 ショウジョウコウジ

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デジタル大辞泉の解説

しょうじょうこう‐じ〔シヤウジヤウクワウ‐〕【清浄光寺】

神奈川県藤沢市にある時宗(じしゅう)総本山。山号は藤沢(とうたく)山。開創は正中2年(1325)、開山は呑海(どんかい)。境内には上杉禅秀の乱の死者を弔う敵味方供養塔がある。藤沢道場。藤沢寺。遊行(ゆぎょう)寺。

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百科事典マイペディアの解説

清浄光寺【しょうじょうこうじ】

遊行(ゆぎょう)寺とも。神奈川県藤沢市西富にある時宗の総本山。一遍が諸国遊行の際,ここを念仏道場としたのに起源,1324年4世呑海が寺院を創建。その弟子安国が総本山とした。
→関連項目神応寺

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうじょうこうじ【清浄光寺】

神奈川県藤沢市にある寺。時宗の総本山。藤沢山無量光院と号す。俗称は遊行(ゆぎよう)寺。開山は他阿弥陀仏呑海,開基はその兄の俣野五郎景平。呑海は遊行上人第4世で,1319年(元応1)に嗣法してから7年間にわたり各地を遊行した。25年(正中2),遊行上人位を安国に譲り,藤沢の地に寺を建ててここに住む。これが清浄光寺のおこりであり,当初は清浄光院あるいは藤沢道場と称した。これ以後,遊行上人は引退すると清浄光寺に住むことが慣例となり,これを藤沢上人と呼んだ。

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大辞林 第三版の解説

しょうじょうこうじ【清浄光寺】

神奈川県藤沢市にある時宗の総本山。山号、藤沢山。時宗第四世吞海が1325年に開創。足利氏をはじめ武家や皇室の信仰が厚く、火災のつど、復興された。絹本着色後醍醐天皇画像・時衆過去帳などを所蔵。藤沢道場。遊行ゆぎよう寺。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

清浄光寺
しょうじょうこうじ

遊行寺」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清浄光寺
しょうじょうこうじ

神奈川県藤沢(ふじさわ)市西富にある寺。時宗(じしゅう)の総本山で藤沢山(とうたくさん)無量光院と号する。通称は遊行寺(ゆぎょうじ)。第4世遊行上人(しょうにん)呑海(どんかい)(1265―1327)が、藤沢四郎太郎の帰依(きえ)を受け、俗兄で俣野(またの)の地頭(じとう)俣野五郎景平の助力を得、景平を開基として1325年(正中2)廃寺極楽寺(ごくらくじ)跡に清浄光院(藤沢道場)を建立したのに始まる。寺伝によると、1356年(正平11・延文1)足利尊氏(あしかがたかうじ)より寺領6万貫の寄進を受け、後光厳(ごこうごん)天皇より寺額を賜って清浄光寺と改称したという。当時、鎌倉周辺での合戦には時宗の僧(時衆(じしゅう))が従っており、武士の切腹に際して最期の十念を授け、埋葬・供養(くよう)を行い、また逃亡を助けるなど活躍している。第12世尊観(そんかん)は亀山(かめやま)天皇の孫で、足利義持(よしもち)は人夫・伝馬などを供して遊行回国の便を図っている。また徳川家康も朱印100石を寄せている。当寺はたびたび焼亡・再興を繰り返し、ことに関東大震災(1923)では全山倒壊したが、その後復興し壮大な本堂・鐘楼が建つ。境内には、上杉禅秀(ぜんしゅう)の乱(1394)で戦死した敵御方供養碑(国指定史跡)、延文(えんぶん)元年銘の梵鐘(ぼんしょう)、小栗(おぐり)判官と照手姫(てるてひめ)の墓などがある。寺宝に絹本着色後醍醐(ごだいご)天皇画像、同一向(いっこう)上人画像、六時居讃、時宗過去帳(以上、国指定重要文化財)などがある。1月12日には遊行上人の初賦算(ふさん)(おふだくばり)があり、4月21~24日に呑海の、9月21~24日に宗祖一遍(いっぺん)の春・秋開山忌が行われる。[田村晃祐]
『寺沼琢明著『一遍上人と遊行寺』(1981・ぎょうせい) ▽橘俊道著『遊行寺』(1975・名著出版)』

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世界大百科事典内の清浄光寺の言及

【時宗】より

…真教の無量光寺は3世智得がついだが,智得と4世呑海の間に隙が生じたので,1325年(正中2)呑海は相模国の藤沢にあった極楽寺を再興して清浄光院と改めてそこに住んだ。5世安国のとき,この寺は一宗の本山となり,6世一鎮のときに清浄光(しようじようこう)寺と名を改めた。こうして時宗は,遊行派(清浄光寺)と当麻派(無量光寺)に分かれたが,1697年(元禄10)に呑了が著した《時宗要略譜》には,遊行,一向,奥谷,当麻,四条,六条,解意,霊山,国阿,市屋,天童,御影堂の12派が記されている。…

【呑海】より

…おもに西国を布教してまわるが,遊行上人の後継者争いのもつれから,25年(正中2)藤沢の地に兄景平の援助で寺を建ててここに住んだ。これがのちの時宗総本山清浄光(しようじようこう)寺である。呑海の系統の時宗を遊行派と呼び,時宗の中心勢力に発展した。…

【藤沢[市]】より

…市域は相模湾岸の砂丘地帯から,相模野台地の南部まで南北に広がる。近世には時宗の総本山清浄光(しようじようこう)寺(遊行(ゆぎよう)寺)の門前町,東海道の宿場町として栄えた。1887年東海道本線が通じ,藤沢駅が設けられたことから,駅の北側に市街地が形成され,また湘南の観光・保養地として発展した。…

【遊行上人】より

清浄光(しようじようこう)寺(遊行寺ともいう)を拠点とし,回国する時宗の指導者の称。特に時宗の開祖一遍,その弟子で時宗遊行派の祖他阿真教をさすことも多い。…

※「清浄光寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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