真教(読み)シンキョウ

デジタル大辞泉 「真教」の意味・読み・例文・類語

しんきょう〔シンケウ〕【真教】

鎌倉時代の僧、他阿たあのこと。

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精選版 日本国語大辞典 「真教」の意味・読み・例文・類語

しん‐きょう‥ケウ【真教】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 真実の教法。まことの教え。
    1. [初出の実例]「横超者即願成就一実円満之真教、真宗是也」(出典:教行信証(1224)三)
    2. [その他の文献]〔洛陽伽藍記〕
  2. [ 2 ] 鎌倉時代の時宗の僧。時宗第二祖。別名は心阿。号は他阿彌陀仏(他阿)。京都の人とも。はじめ良忠弟子であったが建治二年(一二七六)一遍の門下となる。一遍の後をうけて教団をまとめ、兵庫真光寺の寺塔を増建し、京都に金光寺、相模国当麻(神奈川県相模原市)に無量光寺(当麻道場)を開創した。嘉禎三~元応元年(一二三七‐一三一九

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改訂新版 世界大百科事典 「真教」の意味・わかりやすい解説

真教 (しんきょう)
生没年:1237-1319(嘉禎3-元応1)

鎌倉時代の時宗の僧で,遊行上人第2世。他阿弥陀仏と称した。出身は不明。1276年(建治2)北九州において無名時代の一遍智真の門に入り,その遊行回国につき従った。89年(正応2)一遍の没に伴い,人びとに推されて後継者となり,さらに16年間の遊行を続けた。この間,寺,道場の建立信者の獲得,組織の整備に努め,時宗教団の確立に大いに貢献した。その活動地域はおもに関東,中部北陸であった。1304年(嘉元2)相模国当麻に無量光寺を創建してここに止住した。伝記に《遊行上人縁起(一遍上人絵詞伝)》があり,法語集に《他阿上人法語》,歌集として《大鏡集》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真教」の解説

真教 しんきょう

1237-1319 鎌倉時代の僧。
嘉禎(かてい)3年生まれ。時宗。豊後(ぶんご)(大分県)で一遍に帰依し,師に随伴して全国を遊行。一遍の没後,2代遊行上人をつぎ,北陸・関東を中心に布教。京都七条道場金光寺,相模(さがみ)無量光寺など各地に道場・寺院をたて,時宗教団の確立につとめた。和歌にすぐれた。文保(ぶんぽ)3年1月27日死去。83歳。号は他阿,他阿弥陀仏(初代)。通称は遊行上人。著作に「他阿上人法語」,歌集に「大鏡集」など。

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世界大百科事典(旧版)内の真教の言及

【時宗】より

…一遍は,寺を建てたり新しい宗派を開いたりする意志を持たなかったが,その教えに接した人々は全国のさまざまな階層に及び,各地で活動を続けた。一遍の死後,あとを受けついだ他阿弥陀仏(他阿)真教は,各地に寺を建てて教団の組織化につとめた。一遍と真教の活動は,《一遍聖絵》《遊行上人縁起絵》などによって伝えられている。…

【無量光寺】より

…本尊一遍上人像。1304年(嘉元2)遊行上人第2世他阿真教の創建と伝えるが,03年真教が金光院を無量光寺と改め独住したともいう。当寺は相模と甲斐・武蔵を結ぶ交通の要衝に位置し,時宗の開祖一遍もこの地を巡錫したと伝える。…

※「真教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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