日本歴史地名大系 「呰部教諭所跡」の解説 呰部教諭所跡あざえきようゆしよあと 岡山県:上房郡北房町下呰部村呰部教諭所跡[現在地名]北房町下呰部下呰部の町中にある。寛政八年(一七九六)久世(くせ)(現真庭郡久世町)の幕府代官所代官早川正紀が創設した久世の典学(てんがく)館を前身とする。文政五年(一八二二)典学館が下呰部(しもあざい)村に移され、以後呰部教諭所と称され、儒教を中心とした庶民教育が行われた。典学館の二代館長(都講)播磨龍野(たつの)(現兵庫県龍野市)の儒者菊池好直の孫士郎陶愛も当地に移り、彼の没する天保八年(一八三七)頃まで存続したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報