呰部教諭所跡(読み)あざえきようゆしよあと

日本歴史地名大系 「呰部教諭所跡」の解説

呰部教諭所跡
あざえきようゆしよあと

[現在地名]北房町下呰部

下呰部の町中にある。寛政八年(一七九六)久世くせ(現真庭郡久世町)の幕府代官所代官早川正紀が創設した久世典学てんがく館を前身とする。文政五年(一八二二)典学館が下呰部しもあざい村に移され、以後呰部教諭所と称され、儒教を中心とした庶民教育が行われた。典学館の二代館長(都講)播磨龍野たつの(現兵庫県龍野市)の儒者菊池好直の孫士郎陶愛も当地に移り、彼の没する天保八年(一八三七)頃まで存続したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 用材 あか 跡地

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む