味取町(読み)みとりまち

日本歴史地名大系 「味取町」の解説

味取町
みとりまち

[現在地名]植木町味取

平尾ひらお山西麓から岩野いわの山西麓にかけての加茂かも坂を登りつめた豊前街道沿いに成立した在町で、来民くたみ町道が分岐する。豊富な湧水が村落形成の一条件となった。「国誌」には熊本府より三里八町、鹿子木かのこぎ(現飽託郡北部町)へ一里八町、山鹿湯やまがゆ(現山鹿市)へ二里二八町の所で、寛永九年(一六三二)うち村内に味取町を設けたという。元禄国絵図には「内村之内味取町」とみえる。町名起源について同書は、街道が山陰となるこの辺りに盗賊が集まり旅客の荷を奪う荷取から転訛したという俚俗の説を載せ、「事蹟通考」は「和名抄」の三重みえ郷、「延喜式」の三重駅、「台記」久安六年(一一五〇)一一月一日条にみえる藤原宗通領三重屋庄の三重が味取であるとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報