三重(読み)さんじゅう

精選版 日本国語大辞典 「三重」の意味・読み・例文・類語

さん‐じゅう ‥ヂュウ【三重】

〘名〙
[一] 物、事柄などが三つかさなっていること。三段階になっていること。また、そのもの。みかさね。みえ。三層。三段。「三重の衝突」「三重の苦しみ」
※続日本紀‐宝亀元年(770)四月戊午「発弘願、令三重小塔一百万基
※ささめごと(1463‐64頃)下「心を二重三重になせにはあらずと書給へり」
[二] 音の高さや、奏法にいう語。
① 仏教音楽の声明(しょうみょう)で、音域を三つにわけた最高の高さの音域。初重、二重、三重と高くなる。
② 平家琵琶の曲節の一つ。美しく詠嘆的なところに用い、速度はもっとも遅く、音域はもっとも高い。平曲中の聞かせどころとなる。三重のもっとも高い部分を三重の甲(かん)という。
※太平記(14C後)二一「真都(しんいち)三重(ヂウ)の甲を上れば、覚一初重の乙に収(をさめ)て歌ひすましたりければ」
③ 三味線楽の旋律型の一つ。浄瑠璃や長唄などで、一曲の最初や最後、または、場面の変わり目などに用いる。義太夫節には、大(おお)三重、キオイ三重、引取三重など、種類が多い。本来は高い音域の部分という意味からの名称。
※浄瑠璃・曾根崎心中(1703)「すごすご帰る有様は 目も当て、られぬ 三重
④ 歌舞伎の下座音楽で用いる効果音楽としての三味線。唄は伴わない三味線曲で、まれに鳴物を伴う。曾我の対面の場に使う「対面三重」など。
※歌舞伎・時桔梗出世請状(1808)二幕「『おのれ化け物、いづくまでも』と三重(さんヂウ)になり、新左衛門追ひ駈けて向うへ入る」

み‐え ‥へ【三重】

[1] 〘名〙
① 三つ重なっていること。また、その重なっているもの。
※古事記(712)中「玉の緒を腐して、三重に手に纏かし」
※万葉(8C後)一三・三二七三「二つなき恋をしすれば常の帯を三重(みへ)結ぶべく我が身はなりぬ」
② 三色の色糸で模様を織り出した織物。〔讚岐典侍(1108頃)〕
[2]
[一] 三重県北部の郡名。明治二九年(一八九六)の郡統合以前には、三重・朝明(あさけ)の二郡に分かれていた。
[二] 「みえけん(三重県)」の略。

みつ‐がさね【三重】

〘名〙 杯・重箱・衣服などで、三つ重ねて一組としたもの。三枚重ね。三つ組。みえがさね。
※栄花(1028‐92頃)若水「みつがさねの袴・扇まで、いみじくせさせ給へり」

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デジタル大辞泉 「三重」の意味・読み・例文・類語

さん‐じゅう〔‐ヂユウ〕【三重】

三つ重なること。「二重三重に防護する」「三重衝突」
日本音楽で用いる語。
声明しょうみょうで、音域を三つに分けたうちの最高の高さの音域。
平曲で、美文調の韻文による詠嘆的な場面に使う高い音域の曲節。
義太夫節で、一段の最初や最後または場面の変わり目などに用いる旋律。
長唄常磐津清元など歌舞伎舞踊音楽で、場面転換などに用いる曲節。2㋒を取り入れたもの。
歌舞伎下座音楽で、唄を伴わない三味線曲。特定の演出と結びついた効果音楽として用いる。

みえ【三重】[地名]

近畿地方東部の県。県庁所在地津市。もとの伊勢志摩伊賀の3国と紀伊の一部。人口185.5万(2010)。

み‐え〔‐ヘ〕【三重】

三つかさなっていること。また、そのもの。さんじゅう。
3色の色糸で模様を織り出すこと。また、その織物。

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改訂新版 世界大百科事典 「三重」の意味・わかりやすい解説

三重[県] (みえ)

基本情報
面積=5777.27km2(全国25位) 
人口(2010)=185万4724人(全国22位) 
人口密度(2010)=321.0人/km2(全国20位) 
市町村(2011.10)=14市15町0村 
県庁所在地=津市(人口=28万5746人) 
県花ハナショウブ 
県木神宮スギ 
県鳥=シロチドリ

近畿地方の東部にある県。南北に細長く,北東は伊勢湾,南東は熊野灘に臨む。愛知県,岐阜県,滋賀県,京都府,奈良県,和歌山県に隣接する。

県域はかつての伊勢国,志摩国,伊賀国の全域と紀伊国の一部にあたる。江戸時代末期には藤堂氏32万石の津藩のほか,亀山藩,桑名藩,長島藩,神戸(かんべ)藩,菰野(こもの)藩,久居藩,鳥羽藩が置かれており,紀伊国から伊勢の南部を中心に紀州藩領が広がっていた。さらに山田奉行などの支配する天領や伊勢神宮領をはじめとする寺社領,飛地なども入り組んでいた。1868年(明治1)旧天領,神宮領を管轄する度会(わたらい)府が置かれ,翌年度会県と改称された。71年の廃藩置県によって藩はそれぞれ県となり,次いで伊勢国の一志・安濃両郡を境として南北2県に統合され,伊賀国を含む北部は安濃津(あのつ)県に,志摩国を含む南部の度会,久居,鳥羽の3県と紀伊国の熊野川以東,北山川以南の和歌山・新宮(旧紀州藩付家老水野氏領)両県域が度会県となった。翌72年安濃津県は三重県と改称,さらに76年度会県を併合して現在の県域が確定した。

贄(にえ)遺跡(鳥羽市)は鳥羽湾南東部の二地(ふたじ)浦に南面した海岸にあり,縄文時代中期から鎌倉時代にわたる遺跡。縄文時代後期と思われる竪穴住居址4,奈良時代以降の製塩址などがあり,各時代の土器をはじめ縄文~弥生時代の石鏃,石錘,銅鏃,銅釧(どうくしろ)などと,奈良時代以降では金銅製銙帯金具や和銅開珎,〈美濃国〉の刻印をもつ須恵器,緑釉陶器などが出土している。一般的集落址というより祭祀的色彩が強い。

 上箕田(かみみだ)遺跡(鈴鹿市)は弥生時代前期~鎌倉時代の集落址。弥生時代では溝址,土壙,杭列に伴って木製の台付椀,鋤,袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸形土製品のほか,コガネムシなど昆虫の鞘翅,桃,ヒョウタンなどの果実・種子,炭化米も出土した。平安時代では緑釉陶器片も発見されている。

 筒野古墳(松阪市)は古墳時代前期前半,全長39.5mの前方後方墳,三角縁神獣鏡などの鏡,石釧,玉類などが出土している。石山古墳(伊賀市)はその名のごとく全面に葺石(ふきいし)を備えた全長120mの前方後円墳。埴輪を数段めぐらし,後円部には3個の木棺があり,粘土で包む。多数の碧玉製品や石製模造品を伴い,4世紀末のものであろう。伊賀地方最大規模の古墳群といわれる美旗(みはた)古墳群(名張市)は,殿塚,女郎塚など前方後円墳5,方墳6,それに円墳多数から成っていたが,現在,多くの円墳と方墳は消滅した。前方後円墳のなかで全長142mの馬塚古墳はこの地域最大の前方後円墳であり,円墳のなかでは赤井塚古墳が玄室長5.5mと伊賀地方最大の横穴式石室をもつ。御墓山(みはかやま)古墳(伊賀市)は全長160mの前期後半の前方後円墳。葺石,円筒埴輪をめぐらす。神前山(かんざきやま)古墳(多気郡明和町)は5世紀後半代の帆立貝形前方後円墳で,全長38m。葺石,埴輪をめぐらし,画文帯神獣鏡3のほか各種𤭯(はそう)などの須恵器多数が出土している。井田川茶臼山古墳(亀山市)と保子里(ほこり)車塚古墳(鈴鹿市)はいずれも横穴式石室をもつこの地方の代表的後期古墳である。伊勢神宮外宮の後ろ,標高116mの高倉山頂にある高倉山古墳(伊勢市)は径32mの円墳で,巨大な横穴式石室をもつ。神宮の起源にも関係すると思われるが,古くから開口していて副葬品などは不明。

 歴史時代では,斎宮(さいぐう)跡(多気郡明和町)で掘立柱建物群などが検出され,須恵器など多量の遺物が出土している。柚井(ゆい)遺跡(桑名市)は平安時代の集落址で,木簡,木器,墨書のある陶器類などの出土をみる。付近には貝塚もある。朝熊山(あさまやま)経塚(伊勢市)は金剛証寺の裏山にあたる標高540mの経ヶ峰頂上にある平安時代末~鎌倉時代の経塚群。経筒,経巻,鏡など多数の埋納品が発見されている。
伊賀国 →伊勢国 →紀伊国 →志摩国
執筆者:

西側の県境に連なる標高1000~1500mの鈴鹿山脈,笠置山地大台ヶ原山などは,古代以来畿内と伊勢国ほか現在の三重県域との隔壁をなしてきた。一方,北東側の県境には標高600m前後の養老山地があるだけで,伊勢平野から木曾三川(木曾川,揖斐(いび)川,長良川)の三角州を経て濃尾平野へ移行している。伊勢神宮をもつ伊勢国は,西側の山地を鈴鹿峠(357m),加太(かぶと)越(約350m),長野峠(約500m)などの峠で越えて東海道,大和街道,伊賀街道などが通じ,伊勢湾沿いには伊勢参宮街道が通じて,畿内と東国との懸橋的な役割を果たしてきた。また中世以降発達した海上交通でも,伊勢湾沿岸の桑名,四日市,安濃津(現,津市),大湊(現,伊勢市)などの港が栄え,尾張国をはじめ各国と結ばれていた。このような自然環境,歴史的背景にある三重県は自動車交通の発達した現代においても,近畿地方にありながら中部圏開発整備法(1966制定)の範囲に含まれるなど,中部地方とくに名古屋市との関連が強く,通常東海地方の一県として扱われる。

県央の櫛田川の渓谷に沿って中央構造線が東西に走る。北部の西南日本内帯はなだらかな地形の伊勢平野上野盆地(伊賀盆地),南部の外帯は急峻な山地が海岸近くまでせまり,志摩半島と東紀州のリアス海岸が続いている。北部では鈴鹿山脈および布引・高見両山地が分水嶺をなす。この東側には第三紀,第四紀の台地が階段状に発達し,ここを流れる鈴鹿川,雲出(くもず)川,櫛田川,宮川などが伊勢半島を形成し,また県域北東端では木曾三川が河口部に三角州を形成して伊勢湾に注いでいる。一方,西側の上野盆地の中央を西流する柘植(つげ)川,服部川などは,木津川を経て淀川となって大阪湾に注ぐ。南部の志摩半島と東紀州は,北は朝熊(あさま)山地,西は紀伊山地の一部である台高山脈によって限られ,これらに源を発する加茂川,伊勢路川などいくつかの渓流と熊野川(新宮川)が急斜面を南東流して熊野灘に注いでいる。

 気候区は地形区とほぼ一致している。伊勢平野は温和な東海型で津市の年平均気温は15.0℃,年降水量は約1700mmである。上野盆地は寒暑の差の激しい内陸型で,降水量が不足がちである。これと対照的に志摩半島と東紀州は温暖多湿の南海型で,尾鷲市付近は年降水量4100mm以上と,日本の最多雨地域となっている。

 第1次産業人口は県全体の就業者の6.5%(1995)を占める。三重県では水田に適した平地が北半部に集中し,水田率が79%(1995)と高く,近畿地方の米作では兵庫県,滋賀県に次ぐ産額をあげている。明治・大正期には水田裏作のナタネと,畑作地域での桑の栽培が盛んであったが,第2次大戦後,北部では茶や花卉の栽培,南部ではミカン栽培に転じた。近世から続く伊勢いもや伊勢たくあん用のダイコン栽培,戦後の伊勢茶,三重サツキ,洋ラン,ニュー南紀ミカンが県を代表する特産物として知られる。ほかに北勢・中勢地方は鶏卵,豚の特産地指定を受けており,松阪牛,伊賀牛の肥育も盛んである。農畜産物の出荷先は京阪神市場が多く,名古屋市場,東京市場がこれに次いでいる。林業は近世以来,東紀州の熊野市の杉,尾鷲市のヒノキを中心に盛んで,近年はシイタケ,ヒラタケの生産も増加している。

 海岸線の長い三重県では,昭和20年代までは水産業が県の中核産業をなしていたが,近年は相対的地位が低下している。志摩半島の真珠および伊勢湾のノリの養殖,東紀州のカツオ漁業とハマチ養殖は今日でも全国各県の上位を占めている。

県内の幹線鉄道は東海道本線からそれたため,1890年四日市~草津間に開通した関西鉄道が最初で,95年には草津~名古屋間が全通し,のちのJR草津線,関西本線となった。紀勢本線は紀勢東線,紀勢西線が別々に建設され,1968年ようやく全通した。私鉄は近鉄各線で大阪市,名古屋市などと結ばれるほか,鈴鹿山脈北部の藤原岳の石灰石搬出のためにひかれた三岐(さんぎ)鉄道があり,旅客も扱う。道路は国道1号線(東海道),名阪国道,名四国道などが通じる。

 近代産業は,三重郡川島村(現,四日市市)に1880年三重紡績(のちの東洋紡績)が設立されたのが初めで,89年四日市港が特別輸出港,99年開港場に指定されたことなどにより,県内主要都市に羊毛,綿紡,絹糸などの工場が多数立地した。第2次大戦中には四日市市に海軍燃料厰,鈴鹿市に海軍工厰が置かれ,戦後もその跡地利用によって県北の工業化に貢献した。1995年現在,第2次産業は就業者人口の37%,県内純生産の43%を占める。県の製造品出荷額は近畿地方では大阪府,兵庫県に次ぐが,兵庫県の5割(1995)にすぎない。県北は工業化が進み,県南は第1次産業の比重が高い産業構造が特徴である。県内には自動車工業,石油化学工業や造船業が鈴鹿市,四日市市,津市周辺に立地し,中京工業地帯につづく内陸工業地帯を形成している。また,大阪市への近接性を生かして,上野盆地に機械工業の進出がみられる。地場産業では,桑名市の鋳物,四日市市の万古(ばんこ)焼,亀山市の美術ろうそく,鈴鹿市白子の伊勢型紙,伊賀市の旧上野市の組紐と伊賀焼,南勢と東紀州の造船,水産加工品などがある。鉱業は藤原岳一帯から石灰石の切出しが行われ,東麓のいなべ市の旧藤原町にセメント工業が立地している。多気町の旧勢和村丹生(にゆう)の水銀鉱山と熊野市の旧紀和町の銅鉱山は,盛時には全国有数の鉱山であったが,それぞれ1973年,78年に閉山した。県南の豊富な水を利用して電源開発が進み,熊野川水系のくちすぼダム(1961)と七色ダム(1962),淀川水系の青蓮寺(しようれんじ)ダム(1969)が完成,中里ダムを利用する三重用水事業,蓮(はちす)ダムを利用する櫛田川用水事業,君ヶ野ダムの中勢用水事業,長良川河口堰などの事業が完成した。

 第3次産業は就業者人口の55%をこえ,県内純生産の57%を占める(いずれも1995)。近世以来商業が盛んで,伊勢商人の発祥の地である松阪市をはじめ,各地で駅前再開発や大型店の出店がみられる。県内には伊勢志摩,吉野熊野の2国立公園,鈴鹿,室生赤目青山の2国定公園のほか,和歌山・奈良県境の瀞八丁(どろはつちよう)(特名・天,瀞峡)などの景勝地が多く,観光産業が発展している。

県内は自然条件と歴史的背景のちがいから,伊勢志摩地方と東紀州地方,伊賀地方の三つに大別されるが,伊勢志摩地方は中心となる都市と周辺の町村との結びつきからさらに北勢・中勢地方と南勢・志摩地方とに分けられる。

(1)北勢・中勢地方 かつての伊勢国の北部と中部にあたる。伊勢平野と周辺の山地からなり,県庁所在地の津市を中心に四日市,松阪,桑名,鈴鹿,亀山,いなべの7市と周辺の町が含まれる。県域の51%の面積に69%(1995,以下同)近くの人口が集中し,県の行政・産業・文化の中心をなしている。鈴鹿・亀山両市以北の北勢地方は,近世に東海道が尾張国へ通じたため,宿駅として重要であった桑名,四日市市が栄えた。明治以後,四日市が開港場に指定され,国道1号線が全国道路交通の幹線として利用されたことなどからこの地方に紡績,醸造,鋳物,万古焼などの工業が集中した。第2次大戦中に四日市市と鈴鹿市に置かれた軍施設の跡地が石油化学コンビナートや自動車工業に転用され,一大工業地帯を形成している。特産しぐれ蛤(はまぐり)で知られる桑名市は,名古屋市のベッドタウンとなっている。伊勢平氏の根拠地であった中勢地方は,真宗高田派の本山である一身田(いしんでん)の専修(せんしゆう)寺の寺内町,近世には藤堂氏の城下町,明治になって県庁所在地となった津市とその近郊が含まれ,政治・文化の中枢をなしてきた。伊勢平野中央部を占め,早くから稲作を中心とする農業と漁業が盛んで,現在は野菜の施設園芸とノリ養殖に特色がある。工業は近世の伊勢木綿,松阪木綿の伝統を受け継ぐタオル工業が明治以降盛んになり,第2次大戦後は造船,工作機械工業などが発達しつつある。中勢南部の経済活動の中心をなす松阪市は,かつては松阪木綿や櫛田川上流の木材と水銀などの集散地であったが,現在は雲出川と櫛田川にはさまれた地域での松阪牛の肥育で有名。多気郡明和町には伊勢神宮の斎宮(さいぐう)の跡(斎宮跡)があり,その発掘調査が行われている。

(2)南勢・志摩地方 かつての伊勢国南部と志摩国にあたる。志摩半島と伊勢平野最南部および周辺の山地からなり,伊勢市を中心に鳥羽市,志摩市ほか周辺の町が含まれる。面積は県域の19%,人口は全体の15%強を占める。伊勢神宮とともに発展してきた南勢・志摩地方は平安時代以降,神宮への参詣の鳥居前町として栄えた宇治(内宮)と山田(外宮)が発展し,のちの伊勢市となった。外宮の外港であった大湊(伊勢市)では近世以来の造船業が盛んである。アワビ,タイ,ワカメなどの好漁場をなすリアス海岸が発達し,一方では平地が乏しく,水も不足がちで農業は立地しにくい。御木本幸吉が明治中ごろに成功し,企業化した真珠養殖が英虞(あご)湾,五ヶ所湾を中心に盛んで,養殖真珠に関する全工程を公開している真珠島(鳥羽市)には観光客が多い。

(3)東紀州地方 尾鷲市,熊野市と周辺の町からなり,面積は県域の17%強を占めるが,人口は5%強にすぎない。熊野灘に面するこの地方は大台ヶ原山系の山地が広く,温暖多雨の気候は豊かな水資源をダムに供給し,また山腹では杉,ヒノキの美林を育成している。山麓の傾斜地にはかんきつ類が植えられ,リアス海岸はブリ,カツオ,ハマチなどの好漁場となっている。

(4)伊賀地方 上野盆地と周辺の山地からなり,伊賀市,名張市が含まれる。面積は県域の12%,人口は9%を占める。淀川水系の上流にあたるこの地方は,近畿地方建設局の管内にあって,三重県が近畿地方にも中部地方にもかかわっている複雑な事情を知る一例である。ここは内陸型気候のため,夏季は高温少雨で農業用水が不足し,冬季は酷寒に見舞われ結氷降霜が著しい。農業は米作への依存度が高いが,近年ハクサイ,キュウリ,洋ランの加温栽培,観光農業としてのブドウ栽培が盛んである。伊賀牛で知られるこの地方の畜産は,肉牛のほか乳牛や豚の飼育も盛んでハム工場が立地する。伝統工業には伊賀焼,組紐,日本酒,ペン先,唐傘製造などがある。伊賀上野城や忍者屋敷,松尾芭蕉に関する史跡が観光の中心をなす。近年は大阪市のベッドタウンとなりつつあり,機械工業などの分散立地が進んでいる。
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三重 (さんじゅう)

日本音楽の理論用語。声明(しようみよう)に発し,ほかのいくつかの分野に採り入れられた。まず声明では,低,中,高の三つの音域を区別して,初重,二重,三重という。たとえば,3オクターブに及ぶ五音(ごいん)の並びについて,宮~羽をひとまとまりとして,もっとも高い音域のものを三重といい,また,同一詞章による短い旋律を,段階的に音高と気分を高揚させながら3度唱える場合の3度目をいう。後者の三重は,初重,二重との音程関係が確定している場合と,していない場合とがある。その三重がさらに発展した例は,講式にみることができる。すなわち初重と称する旋律と似たものでありながら,高い音域でゆっくりした速度によって朗々と唱え,詞章の内容とあいまって曲のクライマックスを形成する部分をいうのである。平曲では,抒情的な内容の曲によく用いられて,一曲のクライマックスになる三重という旋律がある。やはり高い音域とゆったりした速度によって演唱され,優美で詠嘆的な曲調を特徴とする。その前奏として奏される琵琶の手も三重と称し,4本の弦を一気に弾くアルペジオふうの技法を多用する。

 義太夫節には,〈なになに三重〉と称する旋律型があり,いずれも一つの段の中での比較的大きな段落に用いられる。その用法がオクリと似ているために,しばしばオクリと対比される。すなわち,一つの段の途中で床(ゆか)の太夫と三味線が交代するときに,前の場面の最後と次の場面の冒頭で奏されるのであるが,オクリが同一場面で局面だけが変わるときに用いられるのに対し,三重は大道具も変わってしまうときに用いられる。オクリの場合と同じく,詞章の切れ目の少し前のところを締めくくりの三重としてしまい,残りの詞章は新しい演奏者によって,次の場面の冒頭で演唱される。その旋律はほかの三味線音楽にも採り入れられている。長唄には大薩摩四十八手と称する一群の技法があるが,そこに三重四手が含まれ,一曲の前奏,途中の場面転換,曲の終結などに使い分けられる。なお四十八手の一つの引上序(ひきあげじよ)をも長唄では三重という。歌舞伎音楽では,合方の中に〈対面三重〉〈送り三重〉〈愁三重〉〈忍三重〉など,〈なになに三重〉と称する手が多くあり,舞台効果をいっそう高めている。以上の三味線音楽の各種の三重にほぼ共通している音楽的特徴としては,音域が高いことよりむしろ,撥数(ばちかず)が多いこと,同時に2本の弦を奏する技法が多いこと,などをあげることができる。それに対し,同じ三味線音楽でも,半太夫節(はんだゆうぶし)や河東節(かとうぶし)の三重は,三味線にも特殊な旋律があるが,それよりも高い音域の浄瑠璃を聞かせる方に主眼があり,その点でやや異なる性格であるといえる。この三重は,山田流箏曲にも採り入れられている。これら近世邦楽では初重,二重という用語は用いられない。
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三重(旧町) (みえ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三重」の意味・わかりやすい解説

三重
さんじゅう

日本音楽の用語。音域名称から,楽曲構成部分名称または旋律形態名称として用いられる。 (1) 声明 本来は初重より1オクターブ高い音域を二重,2オクターブ高い音域を三重といったが,実際に1人の演奏者の声域が3オクターブにわたることは少いので,その間隔も自然せばめられ,現行の講式などでは,初重の完全4度から5度高い音域をいっている。 (2) 平曲 楽曲構成部分名称として用いられ,最高音域で,テンポも最緩で,最も旋律的な部分をいう。詞章のうえでも詠嘆的な叙景部分が多く,前奏にはやはり三重と称される琵琶の器楽的な序奏がある。主要音の違いによって甲 (かん) ,上の区別があり,甲上甲上と繰返され,そのあとにはたいてい,下りという中音と同音域の部分がある。特殊なものに「走り三重」という短いものがある。 (3) 三味線音楽 特に義太夫節では,原則として1段のなかの場面転換 (主として舞台装置が変る場合) に用いられる曲節と,これに伴う三味線の旋律。したがってその転換する前の場面の終りと,例外はあるが次の場面の最初にも用いられることになる。1段の終りでは,三重と段切りの曲節が複合されたものとなる。なお旋律の違いによって大三重,愁 (うれい) 三重,錣 (しころ) 三重などいろいろの名称がある。豊後系浄瑠璃,長唄などにも応用され,半太夫節,河東節でも旋律形態名称として用いられている。 (4) 歌舞伎陰囃子 合方の一種としての三味線の旋律。忍び三重,送り三重,幽霊三重などいろいろな種類がある。

三重
みえ

大分県南西部,豊後大野市東部の旧町域。大野川中流右岸にある。 1902年町制。 1951年百枝村,新田村,菅尾村の3村と合体。 2005年朝地町,犬飼町,大野町,緒方町,清川村,千歳村と合体し,豊後大野市となる。中心集落の市場は古くから日向街道の要地で,市場町,宿場町として発達。周辺地域の農林産物を集散する。国の重要文化財および史跡の菅尾石仏,サクラの名所三国峠のほか,景勝地白山渓谷,1977年開洞された稲積鍾乳洞などがある。一部は祖母傾県立自然公園に属する。

三重
みえ

長崎県南部,長崎市北西部の旧村域。 1973年長崎市に編入。五島灘に臨む畝刈湾 (あぜかりわん) に面した小型揚繰網漁業の基地。 1989年住宅,水産物加工の設備をもつ大規模な新長崎漁港が開港した。

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世界大百科事典(旧版)内の三重の言及

【平曲】より

…拾イ類の曲節を多く含む句が〈拾イ物〉とよばれる。(5)フシ類(三重(さんじゆう)・中音(ちゆうおん)・初重(しよじゆう)など) ユリをたっぷりきかせ,最も旋律的な曲節。美文調の部分に多く用いられる。…

【近畿地方】より

…本州中央部よりやや西寄りに位置する地方。京都,大阪の2府と,兵庫,奈良,三重,滋賀,和歌山の5県からなる。面積は3万3097km2で全国の約9%を占める。…

※「三重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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