和
原
わざみがはら
古代にみえる地名で関ヶ原一帯に比定される。「日本書紀」天武天皇元年(六七二)六月二八日条に「天皇、和
に往でまして、軍事を検校へて還りたまふ」とあり、壬申の乱において大海人皇子は野上行宮から兵衆の駐屯する和
に出向いて軍事を視察している。野上が本営で和
はその軍事集結地であったわけで、当時数え年一九歳の高市皇子が総軍司令官であった。「万葉集」巻二に柿本人麻呂の作る歌として次のようにある。
<資料は省略されています>
不破山はいずれの山をさすか未詳だが、関ヶ原と今須境の今須峠辺りをいうか。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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