関ヶ原村(読み)せきがはらむら

日本歴史地名大系 「関ヶ原村」の解説

関ヶ原村
せきがはらむら

[現在地名]関ヶ原町関ヶ原

現関ヶ原町の北東部に位置する。ほぼ東西に通る中山道沿いに関ヶ原宿を形成し、同宿より南東へ伊勢街道、北西北国街道分岐ひがし町・なか(中町)公門くもん町などは同宿内の町名であるが、すでに慶長五年(一六〇〇)の徳川家康禁制朱印状(関ヶ原町歴史民俗資料館蔵)に「関ケ原町衆中」とみえ、町場化していたことが知られる。古くは当地一帯をわざみ原と称した。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録(京都大学蔵古文書集)に「関所広具」とみえるのが当地一帯で、広具は預所と思われる。観応元年(一三五〇)八月一二日久我長通は「三村関原郷穂積郷伊福貴社」を家督通相に譲っており、関原郷は三村みむら庄内に含まれていた(「久我長通譲状写」久我家文書)。天正一二年(一五八四)と推定される五月一五日の羽柴秀吉朱印状(南部文書)によれば、秀吉は近江長浜町中より一四〇石、同八幡やわた(現滋賀県長浜市)中より六〇石の兵糧米を当地まで運送することを命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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