不破郡(読み)ふわぐん

日本歴史地名大系 「不破郡」の解説

不破郡
ふわぐん

面積:一〇五・二四平方キロ
関ヶ原せきがはら町・垂井たるい

県の南西部に位置する。南は養老ようろう郡養老町・上石津かみいしづ町、東は大垣市、北は揖斐いび池田いけだ町・春日かすが村、西は滋賀県坂田さかた山東さんとう町・伊吹町と接する。ほぼ東西に東海道新幹線・東海道本線、名神高速道路・国道二一号などが通る。関ヶ原町の北部一帯などは揖斐関ヶ原養老国定公園に含まれる。当郡の近代以前の郡域は、正保郷帳によれば現在の関ヶ原・垂井二町と、大垣市西部の杭瀬くいせ(旧揖斐川本流とされる)右岸一帯、および養老町最北端部に及ぶ。すなわち東は杭瀬川を境に安八あんぱち郡、北は池田山を境に池田郡、南は南宮なんぐう山を境に多藝たぎ郡と接し、そして西は近江坂田郡境となる。

近江との境界部は急峻な山地をなし、北からは伊吹山(一三七七・四メートル)を主峰とする伊吹山地の南端が、南からは美濃・伊勢両国にかけて連なる鈴鹿すずか山脈の北端がせり出している。こうした地形のなかで近江・美濃を結ぶ唯一の連絡路として機能しえたのは、両山系の間に形成された南北のさし渡し五〇〇メートルにも満たない狭隘な平坦部(関ヶ原町今須の西)のみである。ここを起点として東に下りながら広がって濃尾平野の北西端に位置する不破郡は、古来より畿内と東国を結ぶ東山道交通路上の要衝として、歴史上に度々登場してくる。

〔原始・古代〕

郡域における縄文時代の遺跡には関ヶ原町の中野なかの遺跡などがあるが数は多くない。弥生時代の遺跡は関ヶ原町たま野上のがみ地区、垂井町岩手いわで府中ふちゆう宮代みやしろ表佐おさ栗原くりはらの各地区、さらには大垣市青墓あおはか赤坂あかさか地区など郡域全体にわたって分布がみられる。古墳もよく発達し、池田山南麓および南宮山山麓を中心に前期から後期にわたる多数の古墳がみられる。うち赤坂・長塚ながつか(現大垣市)などの池田山山麓の古墳群は池田山東麓に展開する池田町の古墳群に連結し、南宮山山麓の古墳群も南に延びて養老山地沿いの養老郡海津かいづ郡の古墳群と接続している。

「日本書紀」斉明天皇六年(六六〇)一〇月条には百済の献上した唐の俘虜一〇〇余人について「今美濃国の不破・片県、二郡の唐人等なり」と記述されているが、この「今」は「日本書紀」編纂時点とみるべきで、直接に郡の成立時期を示しているとはいえない。壬申の乱に際して、吉野から伊勢国を経て美濃に入った大海人皇子は、野上のがみの地に行宮を設営し、近江朝廷に対する拠点とするが、同書には「不破」「不破道」「不破宮」「野上」「和」などがみえるほか、天武天皇元年(六七二)六月二七日条に「天皇、皇后を留めたまひて、不破に入りたまふ、郡家に及る比に」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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