和食郷(読み)わじきごう

日本歴史地名大系 「和食郷」の解説

和食郷
わじきごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「和食」と記し、高山寺本は「知之岐」、東急本は「和之支」と訓ずる。「中右記」嘉保二年(一〇九五)三月六日条をはじめ、永長元年(一〇九六)七月二五日条などに「和食庄」の名がみえ、平安時代後期には摂関家領の荘園となっていた。「土佐幽考」は「在赤野之西」とするが、「日本地理志料」は「和食荘、領和食・赤野・西分・馬ノ上・長谷・桜浜ノ諸邑」とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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