唐仁原村(読み)とうじんばらむら

日本歴史地名大系 「唐仁原村」の解説

唐仁原村
とうじんばらむら

[現在地名]加世田市唐仁原・白亀しらかめ

宮原みやはら村の南西に位置する。唐人原とも記される。かみきたしも内田佐方うちださがた神村かみむら潟村がたむら小陣こじん大崎おおさき集落がある。享和二年(一八〇二)頃までは当村の北西端を万之瀬まのせ川が南西流しており、川沿いに大崎浦があった(「加世田再撰史」加世田市立郷土資料館蔵など)中世加世田別符のうちに含まれていた。応永一三年(一四〇六)九月二五日の加世田別符半分坪付注文(島津家文書)に「唐人原 十二町」とみえ、伊作島津氏に宛行われているが、同坪付注文では敵を退治することが条件とされており、当時伊作島津氏の完全な所領であったわけではない。年未詳の同坪付注文(同文書)には「たうし原」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む