日本歴史地名大系 「加世田別符」の解説
加世田別符
かせだべつぷ
〔鎌倉時代〕
開発領主は永万元年(一一六五)七月日の寺家政所下文案(新田神社文書)にみえる別府五郎忠明とみられ、別府氏は薩摩平氏の一族とされる。薩摩国建久図田帳によれば加世田別符は一〇〇町で、豊前宇佐弥勒寺領
加世田別符の地頭職は、嘉禄三年(一二二七)六月一八日に島津忠久から忠時(忠義)に譲られたが(「島津忠久譲状」島津家文書)、忠時から誰に譲られたかは定かではない。ただし延文六年(一三六一)四月二〇日に、島津忠政(道春)が当別符内の山田・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報