唐牛村(読み)かろうじむら

日本歴史地名大系 「唐牛村」の解説

唐牛村
かろうじむら

[現在地名]大鰐町唐牛

北に長峰ながみね村、東南古懸こかけ村、南に碇ヶ関いかりがせき(ともに現碇ヶ関村)がある。

天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「伽藍寺からうじ近代唐牛ト書ク」とある。集落北端(館ノ上)に唐牛館跡がある。国道七号の工事に伴い破壊され、郭の一部と空堀を残すのみだが、「津軽一統志」に「唐牛 多田采女」とある。築城年代は不明だが、単に多田采女といえば初代をさし、二代采女が初めて津軽為信に仕えたという。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の平賀ひらか郡に高一七六石、うち田方一六三・六八石とある。貞享四年(一六八七)検地帳によれば、田畑屋敷合せて六四町九反二畝七歩、村高四〇二・六四五石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む