問田村
といだむら
[現在地名]山口市大字大内御堀
姫山の東南、小鯖川(問田川)の流域にあり、北は御堀村、東は矢田・小鯖両村。山口宰判に属した。
鎌倉時代初期、大内盛房の次男長房がこの地を知行し、地名を負うて問田三郎と称した。問田氏の居館は代々、下問田の金花山の北麓にあったという。大内弘世が貞治四年(一三六五)に再建した松崎天満宮(現防府市)棟札の結縁衆の中に問田多々良弘有の名が、応永二三年(一四一六)の三浦家文書には周防国守護代問田入道がみえ、この頃の興隆寺文書にも、問田氏の名が散見する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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