善理庄(読み)せりのしよう

日本歴史地名大系 「善理庄」の解説

善理庄
せりのしよう

芹川せりかわ町・せり町一帯に所在したとみられる太秦広隆うずまさこうりゆう(現京都市右京区)領庄園。世理庄とも記す。「広隆寺来由記」によると、保安年中(一一二〇―二四)鳥羽上皇が「世理新庄」を八講料として同寺に寄進したという。正安四年(一三〇二)四月二〇日の伏見上皇院宣によると、世理庄は広隆寺修造ならびに桂宮けいくう院造営料所に充てられており、徳治三年(一三〇八)一〇月七日と応長元年(一三一一)一二月一四日にはこれを安堵する後伏見上皇院宣が出されている。明徳三年(一三九二)六月一四日には将軍足利義満から安堵された。その後も広隆寺の知行は続き、康正二年(一四五六)一二月二七日には、善理新庄を含む広隆寺領五ヵ所の給主職は前任者が懈怠を理由に改易され、慶秀に与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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