ケイ

デジタル大辞泉 「ケイ」の意味・読み・例文・類語

ケイ(Ellen Karolina Sofia Key)

[1849~1926]スウェーデンの婦人思想家・教育家。母性尊重・家庭教育重視の立場から社会問題を論じ、婦人運動の先駆的役割を果たした。著「恋愛と結婚」「児童の世紀」など。エレン=ケイ。

ケイ(John Kay)

[1704~1764]英国の発明家。飛びを発明、織布工程の能率増進に貢献した。

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精選版 日本国語大辞典 「ケイ」の意味・読み・例文・類語

けい

  1. [ 1 ] 〘 接続助詞 〙 接続助詞「さかい」の変化したものか。から。
    1. [初出の実例]「何事も清浄を素とするケイ、不浄な事は神様が御嫌らい成さる」(出典:開化の入口(1873‐74)〈横河秋濤〉下)
  2. [ 2 ] 〘 終助詞 〙 終助詞「かい」の変化したもの。
    1. [初出の実例]「けい そうけい、くるけいなどいふ、江戸のそうかゑくるかゑなり」(出典:浪花聞書(1819頃))

ケイ

  1. [ 一 ] ( Ellen Key エレン━ ) スウェーデンの思想家。男女平等、女権伸張を説く。主著は「生活線」(英訳「恋愛と結婚」)「児童の世紀」「婦人運動」など。(一八四九‐一九二六
  2. [ 二 ] ( John Kay ジョン━ ) イギリスの発明家。ランカシャーに生まれる。一七三三年、桛糸(かせいと)を引っ張ることにより自動的に動く飛杼(とびひ)を発明。(一七〇四‐六四頃

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普及版 字通 「ケイ」の読み・字形・画数・意味


12画

(異体字)
12画

[字音] ケイ

[説文解字]

[字形] 形声
声符は(けい)。声の字に他に稽があり、稽は神霊の降下を求めて祈り拝する字で稽首、また神の稽留する意。稽首は金文に首としるし、旨は神の詣(いた)ること。それを迎えて稽首するを(けい)という。は華表の原型である(けい)(のち禾(か)、華表)に犬牲を加えた字である。康はもと奚氏。会稽に居り、のちに移り、会稽の稽をとってと称したという。そのときの造字であろう。〔説文〕九下の〔新附〕の字、「山名なり」という。

[訓義]
1. やまの名。
2. 姓。

[古辞書の訓]
〔字鏡〕 アカフ

[熟語]



7画

[字音] ケイ

[説文解字]

[字形] 形声
声符は(けい)(幵)。〔説文〕六下に「の子の封ぜられしなり。地は河の懷にし」とあり、〔左伝、僖二十四年〕「・胙(そ)・祭は、の胤なり」とみえる。のち族名となる。

[訓義]
1. 国の名。
2. 地の名。
3. 族名。
4. 形と通用することがある。

[熟語]



3画

[字音] ケイ

[説文解字]

[字形] 象形
豚の頭の形。〔説文〕九下に「豕(ぶた)の頭、其のくして上見するに象るなり。讀みて(けい)の(ごと)くす」とあり、〔玉〕に「彙のなり」という。彙ははりねずみ。

[訓義]
1. ぶたのあたま。
2. はりねずみのあたま、はりねずみ。

[部首]
〔説文〕に・彖・など四字を属する。は獣頭の形であるが、これを単独に用いる例はない。は祟(すい)の初文。(殺)・はその形に従う。

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改訂新版 世界大百科事典 「ケイ」の意味・わかりやすい解説

ケイ
John Kay
生没年:1704-64

イギリス,ランカシャーのベリー生れの織布工で,飛杼(とびひ)flying shuttleの発明者。ケイははじめ毛織業に従事する織布工であったが,織機の部品製造も行い,1730年には毛糸の梳毛(そもう)・粗紡の新方式を発明するなど機械工でもあった。当時の織機は,横糸を通すには片手で杼を投げ,もう一方の手でそれを受け止めるものであり,広い布を織る場合は2人の人間がこの作業に必要であった。ケイは杼に車をつけ,すべり溝を動くようにし,布の両端に杼箱をすえた。この杼箱は,引綱を引くと中にある杼が飛び出し,反対側の杼箱に飛び込むようになっており,引綱を引くだけで,杼の往復運動が行われるものである。これは,織幅の広い布を1人の人間で織ることを可能にし,また織布速度を高めることとなった。しかも,それまで人間の手作業であったものを織機の機構の中に組み入れるということは,本格的機械の登場という大きな意味があり,イギリス産業革命の開始を準備するものであった。ケイの発明は織布工の職を奪うものとして仲間から非難され,リーズへ移る。その地の業者たちはケイの飛杼を使用するが,使用料は払わず裁判となり,ケイは訴訟費用を負担しきれず破産する。故郷のベリーに戻った後も暴動にあうなどし,逃れるためフランスへ渡り,そこで没するという不遇の生涯であった。しかし,ケイの飛杼はしだいに普及し,織布工程の高率化は,必然的に紡績工程の改善を迫ることになり,全繊維産業の大きな変革の突破口を開いたのである。
紡績
執筆者:


ケイ
Ellen Key
生没年:1849-1926

スウェーデンの女流思想家・教育者。スモーランド州の名門に生まれ,自由で高尚な雰囲気の家庭で育った。19世紀末から20世紀初頭にかけてスウェーデンの経済構造の急激な変化の過程で,とくに婦人と子どもの生活に深い関心をよせ,教育論,結婚論,婦人運動論を展開した。主著の一つ《児童の世紀》(1900)は,20世紀が子どものための世紀にならなければならない,と宣言して世界の新教育運動に思想的指針を与えた。日本でも1906年に大村仁太郎がドイツ語版から,16年には原田実が英語版から訳出して,大正期の児童中心主義的立場に立った教育改造運動に大きな影響を与えた。79年には国際児童年を記念して小野寺信・百合子による原典からの翻訳が出版された。子どもが愛に満ちた結婚によって生まれ,幸福に育てられることを要求する権利を有するというのがケイの思想の出発点で,女性解放における〈母性の尊重〉を強調した。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケイ」の意味・わかりやすい解説

ケイ(John Kay)
けい
John Kay
(1704―1764)

飛杼(とびひ)(シャットルシャトル)の発明者。12人兄姉の末っ子としてイギリスのランカシャーに生まれる。近くのベリーの町の織物用の筬(おさ)職人の徒弟に入り、独立後、従来のアシの茎にかわって針金製の筬を発明する。これによって経糸(たていと)の切断が減少して生産性があがり、福音を受けた織工たちに「ケイの筬」として知られるようになった。1733年彼の名を不滅のものとした飛杼を発明する。これは、従来、手で投げ入れていた緯糸(よこいと)用の杼を紐(ひも)で左右に飛ばす画期的なもので、後の力織機出現への道を開く大発見である。性能の優れていることが認められるにしたがい、職を奪われることを心配する織工たちから迫害を受け、1747年にフランスに逃れ、そこで二つの特許をとった。その一つは杼の中に入れるボビンへの糸の巻き方で、これによって緯糸の切断が減少し、飛杼としてのいちおうの完成をみた。イギリスでの飛杼の普及状況視察のため1753年ベリーの自分の家へ戻ったとき暴徒に襲われ、家財や織機を破壊され、かろうじて逃げ出すという災難に遭遇した。

 飛杼はイギリスでは順調に普及していくが、皮肉にも逃避先のフランスではむしろ失敗に終わった。失意と貧困のうちに、だれにも知られることなくフランスで死んだ。1764年没とされているが異説もある。

[篠原 昭]


ケイ(Ellen Key)
けい
Ellen Key
(1849―1926)

スウェーデンの思想家、教育家。20世紀初頭のスウェーデンは工業近代化の過渡期にあり、女性、児童からの労働搾取が激化していた。彼女は、これがかえって労働者全体の賃金低下を招き、家計を助けるためにいっそう女性、児童の労働に頼らざるをえなくなる悪循環をもたらしたと分析する。とくに、これが母性を冒し、したがって家庭教育不在と学校教育偏重の弊害をもたらしたと批判する。ケイはこのように女性、教育、労働などの諸問題の構造的な性格をとらえ、総合的、相即的な論究を行った。その論究の目的は、当時の社会全般にあったキリスト教教義と現実の生活との二元的分裂、およびそれに伴う退廃を克服するために一元的な思想基盤をつくることであった。この点で彼女にとくに影響を与えたものに、ダーウィンスペンサーの進化論、ニーチェの精神的進化論、ゲーテの人本主義、ルソーの自然教育論がある。彼女はその思想基盤として「生の信仰」を提唱し、母性尊重、家庭教育の重視、児童の自由で自発的な活動の重視などを論じた。とくにその母性至上主義は以後の女性運動の思想的支柱の一つとなり、日本でも平塚らいてうらの女性運動家に影響を与えた。

[池田久美子]

『エレン・ケイ著、小野寺信・百合子訳『恋愛と結婚』改訂版(1997・新評論)』『エレン・ケイ著、小野寺信・百合子訳『児童の世紀』(冨山房百科文庫)』


ケイ(Nora Kaye)
けい
Nora Kaye
(1920―1987)

アメリカのバレリーナ。本名ノラ・コレットニューヨーク生まれ。15歳でアメリカン・バレエ・シアターレギュラーメンバーになり、アンソニー・チューダーの『火の柱』、アグネス・デミルの『フォール・リバー物語』に出演、脚光を浴びた。1951年から数年間ニューヨーク・シティ・バレエ団に在籍し、ジェローム・ロビンズの『檻(おり)』などを踊った。53年(昭和28)に初来日、61年に引退した。後進の指導にあたるかたわら、夫の映画監督ハーバート・ロスの『愛と喝采(かっさい)の日々』『ニジンスキー』など、映画のプロデューサーとしても活躍していた。

[市川 雅]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケイ」の意味・わかりやすい解説

ケイ
Kaye, Danny

[生]1913.1.18. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1987.3.3. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の俳優兼コメディアン。本名 David Daniel Kaminsky。ウクライナからの移民の家庭に生まれ,1930年代はコメディアンとして全米各地のホテルやナイトクラブを回った。1941年ブロードウェー・ミュージカル『レディ・イン・ザ・ダーク』Lady in the Darkで 50人以上のロシア人作曲家の名前を早口で暗唱する珍曲『チャイコフスキー』Tchaikovskyを披露すると,主演女優ガートルード・ロレンスをしのぐほどの人気を博した。以後,映画や舞台で舌がもつれるような早口の曲をたびたび披露している。1940年代初め,ハリウッドの映画制作者サミュエル・ゴールドウィンに注目され映画界入りを果たし,1944~63年は映画を中心に活躍した。代表作は『ダニー・ケイの天国と地獄』Wonder Man(1945),『虹を掴む男』The Secret Life of Walter Mitty(1947)など。1954年から約 30年にわたり,国連児童基金 UNICEFの親善大使として世界各地を訪れた。1954年アカデミー賞名誉賞を受賞,1986年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を授与された。

ケイ
Kay, John

[生]1704.7.16. イギリス,ベリー近郊
[没]1780頃. フランス
イギリスの機械工,技師。自動織機発明への重要な一歩となる飛杼の発明者。若くして父親が経営する毛織物工場の管理を任され,整経機や梳毛(→梳毛糸)などの機械に多くの改良を施した。1733年,飛杼を利用した毛織物の新機構を発明し,特許を取得。イングランド北部ヨークシャーの毛織物業者はすぐにこの発明を採用したが,特許料の支払いを拒む組織を結成。ケイは特許をめぐる訴訟に多額の出費を強いられた末,フランスに移住し人知れず世を去ったとされる。(→産業革命

ケイ
Key, Ellen

[生]1849.12.11. スモーランド,サンズホルム
[没]1926.4.25. アルバストク
スウェーデンの女流小説家,思想家。政治家を父に旧家に生れたが,不幸に見舞われ,1868年にストックホルムに移住。 78年以降,破産した家計を支えるために同市のウィットロック男女共学校の教師を 20年間つとめた。その間に講演,ジャーナリズムなどを通じ,婦人問題,児童問題などに急進的見解を提唱,男女同権,自由な性道徳,自由精神作業による児童教育などを主唱。特に代表作『児童の世紀』 Barnets århundrade (1900) は徹底した児童中心主義的教育論を展開したもので,各国語に翻訳されて世界的に普及し,20世紀初頭に興隆した新教育運動のバイブルとして多大の影響を及ぼした。このほかにも『生命の流れ』 Lifslinjer (03~06) などの著作がある。

ケイ
Kaye, Nora

[生]1920.1.17. ニューヨーク
[没]1987.2.28. カリフォルニア,サンタモニカ
アメリカのバレリーナ。両親はロシア人で本姓 Koreff。メトロポリタン・オペラ・バレエ学校で M.フォーキンらに学び,ラジオ・シティー・ミュージック・ホールに出演。 1939年アメリカン・バレエ・シアターに参加,42年 A.チューダーの『火の柱』に出演して好評を得,一躍頭角を現した。モダン・バレエからクラシックまでレパートリーは広いが,『ライラック・ガーデン』『欲望という名の電車』など劇的な作品を得意とした。来日公演も多い。 60年,夫の振付師ハーバード・ロスと組織したバレエ団で『羅生門』による作品『藪の中』に主演したのを最後に引退。

ケイ
Key, Lieven de

[生]1560. ヘント
[没]1627. ハールレム
ネーデルラントの建築家。 1580~93年,宗教的迫害のためイギリスに亡命,石工として働き,帰国後ハールレムの代表的建築家となる。おもな作品は,ライデン市庁舎正面 (1597) ,ハールレムの肉市場 (1602~03) ,ハールレム新聖堂の西塔 (13) など。

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百科事典マイペディア 「ケイ」の意味・わかりやすい解説

ケイ

スウェーデンの女性解放論者。自由恋愛による結婚と離婚の正当性を説いた《生命線(恋愛と結婚)》(1903年―1906年)は恋愛論の古典の一つ。また女性解放において〈母性〉の尊重を強調し,母性を保護するために国家は母親に給付金を与えるべきと主張した。この主張は日本のフェミニズム運動にも影響を及ぼし,与謝野晶子平塚らいてうらによる母性保護論争のきっかけとなった。教育に関しては児童教育の中心をその自発性の助長にあるとした《児童の世紀》(1900年)を著し,近代的教育方法論として重視された。

ケイ

英国の発明家。ランカシャーに生まれ,織布工として働きつつ織機の改良に当たり,1733年飛杼(とびひ)を組みこんだ織機の特許を取得。高能率のこの装置の普及につれ,失業を恐れた織工が暴動を起こし,また資本家が使用料を払わなかったことも加わって,フランスに渡り不遇のうちに死んだ。
→関連項目産業革命バッタン

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ケイ」の解説

けい

1853-1871 明治時代の移民。
嘉永(かえい)6年生まれ。日本で最初の女性移民。明治2年スネルにひきいられた郷里陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)のアメリカ移民団に参加し,カリフォルニアに入植。若松コロニーで茶や桑の栽培をおこなったが失敗し,明治4年熱病にかかって死去した。19歳。カリフォルニアおけいともいう。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ケイ」の解説

ケイ
John Kay

1704頃~64頃

イギリスの発明家。1733年に特許出願した飛杼(とびひ)の発明により,織布工程の能率増進に大きな貢献を果たし,産業革命を準備した。しかし旧来の織布工の反対を受け,採用した織元も使用料を払わなかったため,晩年フランスで窮乏のうちに死去。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ケイ」の解説

ケイ

スズキが1998年から2009年まで製造、販売していた軽自動車。3、5ドアハッチバック。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ケイ」の解説

ケイ

ジョン=ケイ

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世界大百科事典(旧版)内のケイの言及

【カシア】より

…トンキンニッケイ(東京肉桂),ケイ(桂)ともいう。クスノキ科の常緑樹。…

【ニッケイ(肉桂)】より

…細い根を赤紙で束ねたものを〈にっき〉と称して,昔は子どもの菓子として駄菓子屋や縁日でよく売られていた。主成分はケイ(桂)皮アルデヒドで,ほかにタンニンを含む。 シナモン(セイロンニッケイ)C.verum J.Preslはインド南部,セイロンに分布する常緑小高木で,熱帯各地で栽培される。…

【織機】より

…1801年から04年にかけてフランスのJ.M.ジャカールは彼らの装置を改造,さらに発展させ,今日のジャカードの基本技術を作りあげた。一方,イギリスでは1733年,ケイJohn Kay(1704‐64)が飛杼装置を発明し,力織機発明の端緒を作った。これは,ひもを引くことにより杼箱の中からシャットルをはじきだすもので,緯入れ,緯打ちの能率は飛躍的に増大した(日本ではこの装置をバッタンと呼ぶ)。…

【織機】より

…1801年から04年にかけてフランスのJ.M.ジャカールは彼らの装置を改造,さらに発展させ,今日のジャカードの基本技術を作りあげた。一方,イギリスでは1733年,ケイJohn Kay(1704‐64)が飛杼装置を発明し,力織機発明の端緒を作った。これは,ひもを引くことにより杼箱の中からシャットルをはじきだすもので,緯入れ,緯打ちの能率は飛躍的に増大した(日本ではこの装置をバッタンと呼ぶ)。…

【綿織物業】より

…ところが18世紀後半以後,イギリスで綿織物をつくるための種々の機械がつぎつぎと発明され,綿織物生産は飛躍的に増大するとともに,綿織物工業は産業革命の重要な担い手ともなった。すなわち1733年のJ.ケイの飛杼(とびひ)の発明に始まった織機の改良は,64年J.ハーグリーブズの数個の紡錘をもつ多軸紡績機の発明,68年のR.アークライトによる水力紡績機の発明,さらに85年E.カートライトの蒸気機関を利用した力織機まで続き,綿織物工業は産業革命期のイギリスにおいて飛躍的な発展をとげた。 その後,綿織物工業はイギリスから他のヨーロッパ諸国,そしてアメリカに普及し,とくに19世紀末あたりからはアメリカ南部の綿花地帯に盛んになっていった。…

【児童福祉】より

…児童が人として尊重され,物心両面における健全な環境のもとで養育され,健やかな成長が保障されることを理念とした児童福祉が日本の社会福祉政策の一環として確立したのは第2次大戦後のことである。 スウェーデンの女流思想家エレン・ケイは,1900年に《児童の世紀》を著し,婦人の地位向上は女権解放でなく母性の実現にあるとして,健全な母性のあり方に深くかかわる児童の健やかな発達に世界の未来がかかっていることを説き,児童福祉,児童教育界に大いなる影響を与えた。日本では第2次大戦前までは児童に固有の人権があるという考えに乏しく,忠・孝の倫理によってその個人としての発達を抑制されていたといってよい。…

【女性史】より

…フランスの空想的社会主義者フーリエは《四運動の理論》(1808)で,社会の進歩と女性の解放は比例するといい,イギリスの功利主義者ジョン・スチュアート・ミルは《女性の隷従》(1869)で,奴隷制から自由な社会へという人類史の延長線上に女性解放をおこうとした。《恋愛と結婚》(1903)を書いたスウェーデンのE.ケイは,歴史は恋愛と結婚の自由に向かって進んできたとする立場から女性解放の方向性を示した。マルクスとともに史的唯物論を樹立したエンゲルスは,ルイス・モーガンの《古代社会》(1877)の人類学的成果をとりいれ,《家族,私有財産,国家の起源》(1884)において,性差別の起源は人類初期の段階で母権制が私有財産に基礎をおく父権制に取って代わられたことにあるとし,私有財産が廃棄される未来社会で女性は解放されると説いた。…

※「ケイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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