善知鳥崎(読み)うとうざき

日本歴史地名大系 「善知鳥崎」の解説

善知鳥崎
うとうざき

善知鳥前うとうまえ碕、烏頭前うとうまえ碕とも記す。浅虫あさむし南西久栗坂くぐりざかとの間の海岸に突出する。菅江真澄は「外が浜つたひ」天明八年(一七八八)七月七日に伝承と風景を次のように記した。

<資料は省略されています>

善知鳥崎は大河兼任の乱の古戦場とされている。文治五年(一一八九)に滅亡した平泉ひらいずみ(現岩手県西磐井郡平泉町)藤原泰衡郎従大河兼任はこの地で敗れ、秋田方面へ敗走したという。「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)二月一二日条に「次第追跡、而於外浜与糠部間、有多宇末井之梯、以件山為城、兼任引籠之由風聞、上総前司等又馳付其所、兼任一旦雖令防戦、終以敗北、其身逐電晦跡、郎従等或梟首、或帰降云々」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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