明治天皇巡幸(読み)めいじてんのうじゅんこう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

明治天皇巡幸
めいじてんのうじゅんこう

明治期(1868~1912)の明治天皇の地方巡幸。すべて97件(うち、即日還幸37件)に達する。このうち、六大巡幸といわれるものは、(1)1872年(明治5)5月23日~7月12日、近畿・中国・九州地方、(2)1876年6月2日~7月21日、東北地方(函館(はこだて)を含む)、(3)1878年8月30日~11月9日、北陸・東海道地方、(4)1880年6月16日~7月23日、中央道地方、(5)1881年7月30日~10月11日、東北・北海道地方、(6)1885年7月26日~8月12日、山陽道地方である。この六大巡幸が明治初年から10年代に集中し、しかも期間が1か月半ないし2か月以上に達していることは特徴的である。これは、新政府の基礎がまだ固まらず、自由民権運動がこの時期に展開していることと関係がある。
 この天皇巡幸の原型は、天皇の京都から東京への行幸(東京奠都(てんと))にあったが、そのときの意図の一つは、江戸幕府にかわる天皇は、歴史的、民族的に支配の正統性をもつ、仁恵(じんけい)深い君徳を備えた存在であることを民衆にアピールすることにあった。巡幸は、これを全面的に日本全国に拡大し、全国を網の目のように覆ったのである。そのことによって、明治国家支配のシンボルとしての天皇像を民衆に浸透させ、民衆の生き神信仰と天皇とを結び付けて神権的粉飾を進めた。また、それは天皇を迎える地方官の権威を高めると同時に、天皇が休憩・宿泊で立ち寄る地方行政機関や地方名望家の地方支配を強固なものにし、さらに陸軍の大演習と関連づけることによって天皇と軍部とを直結させる役割などを果たした。その意味で明治天皇の地方巡幸は、近代天皇制の確立・完成過程における国家的プロパガンダであった。
 太平洋戦争敗戦後の天皇の各地への巡幸の発想は、これに倣ったものといえる。[田中 彰]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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