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清少納言 せいしょうなごん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

清少納言
せいしょうなごん

[生]康保3(966)頃
[没]万寿2(1025)頃
平安時代中期の女流歌人。『枕草子』の作者。歌人の家柄に生れ,父は『後撰集』の撰者清原元輔。橘則光,藤原棟世 (むねよ) らと結婚,橘則長,小馬命婦らを産んだと推定される。その生涯の詳しいことは,一条天皇の中宮定子に正暦4 (993) 年頃出仕してから長保2 (1000) 年定子が薨じるまでの宮廷生活を中心に知りうるだけである。

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デジタル大辞泉の解説

せい‐しょうなごん〔‐セウナゴン〕【清少納言】

平安中期の女流文学者。本名未詳。父は清原元輔(きよはらのもとすけ)、曽祖父は深養父(ふかやぶ)。正暦4年(993)ごろから一条天皇の中宮定子に仕え、和漢の学才をもって寵を受けた。随筆「枕草子」、家集「清少納言集」など。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

清少納言【せいしょうなごん】

平安中期の女性文学者。生没年未詳。歌人清原元輔の女。祖父深養父(ふかやぶ)も有名な歌人。993年ごろ一条帝中宮(のち皇后)定子に仕えた。文化的な家庭環境に育ち,早くから和漢の才をもって聞こえ,中宮彰子の側にあった紫式部と並び称された。
→関連項目赤染衛門一条天皇紫式部日記

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清少納言 せいしょうなごん

?-? 平安時代中期の歌人,随筆家。
清原元輔(もとすけ)の娘。橘則光(たちばなの-のりみつ)と結婚したが離婚,正暦(しょうりゃく)4年(993)ごろより一条天皇の中宮の藤原定子(ていし)につかえ,約10年間女房生活をおくる。漢詩文の教養と才気と機知により宮廷に名をはせた。著作に「枕草子(まくらのそうし)」,家集に「清少納言集」。
【格言など】夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂(あふさか)の関は許さじ(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

清少納言

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:康保3頃(966)
平安時代の歌人,作家。治安・万寿年間(1021~28)ころ没。随筆集『枕草子』の著者。曾祖父清原深養父と共に中古三十六歌仙のひとり。父は清原元輔。橘則光と結婚して則長をもうけるが,のち離別。中関白藤原道隆の後見する一条天皇皇后定子に仕え,後宮では,折りにつけ機敏な才能を発揮した。藤原公任,源俊賢,藤原斉信,藤原行成らをはじめ,公卿殿上人などの貴顕との交流においても才知を披瀝している。道隆の死後,その子伊周,隆家が失脚し,定子の後宮が衰微していくなかで,反対勢力の道長方とみられたこともあった。長保2(1000)年の定子没後は,その遺児脩子内親王に仕えたり,摂津守藤原棟世と結婚し,小馬命婦を生んだりしたらしい。晩年は零落して地方に住んでいたという逸話が『無名草子』や『古事談』などにあるが,実際は父の住んでいた月輪(京都東南の郊外)で暮らしたとされる。 歌集『清少納言集』には日常生活的な詠歌が多く,機知に長けた表現の即興的詠風である。その歌風には古今集風の詠歌をする曾祖父と,即興的詠歌をする父との歌才を直接に受け継いだ面がある。しかし,ふたりの影響は,詠歌よりも『枕草子』の表現に結実している。『紫式部日記』には「さかしだち,真名書きちらして侍るほども,よく見れば,まだいとたへぬこと多かり(賢ぶって学才をひけらかすけれども,浅薄なものでしかない)」と,厳しい批評があるが,むしろ臨機応変な対応が要求された後宮で,鋭敏な感性と,常識的教養に裏打ちされた知識と即興的行動が周囲の人々を感嘆させた。また,周りがそれを歓迎したことなどが『枕草子』成立の基盤となっている。このように『枕草子』は,宮廷文化のなかで,中関白家の教養ある環境と清少納言の感性,表現力とから生まれたものであるといえる。「春はあけぼの」などそれまで和歌には詠まれなかった材料も,『枕草子』では新たな美的評価が与えられるなど,清少納言の文学的貢献は大きい。

(松田豊子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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防府市歴史用語集の解説

清少納言

 平安時代後半の有名な女性歌人で、三十六歌仙[さんじゅうろっかせん]の1人に数えられるほどでした。また、『枕草子[まくらのそうし]』の作者としても有名です。父である清原元輔[きよはらのもとすけ]が周防国司[すおうこくし]になったときは、父とともに周防を訪れたと思われます。

出典|ほうふWeb歴史館
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世界大百科事典 第2版の解説

せいしょうなごん【清少納言】

966ころ(康保3ころ)‐?
平安中期の女流文学者。父は〈梨壺の五人〉の一人として有名な歌人清原元輔,祖父(曾祖父ともいう)深養父(ふかやぶ)も清少納言自身も中古歌仙三十六人に数えられる和歌重代の家柄。父の友人には源順,大中臣能宣ら漢詩文や和歌に達者な一流人物が多く,元輔の末娘はこれらの人々に愛され,利発で早熟な少女として育った。981年(天元4)ころ,名家橘氏の嫡男則光と結婚,翌年則長を生んだがまもなく離婚,991年(正暦2)ころ,父ほど年の違う藤原棟世(むねよ)と再婚し,小馬命婦(こまのみようぶ)を生んだが別居して,993年冬,一条帝中宮,関白藤原道隆の娘定子に仕えた。

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大辞林 第三版の解説

せいしょうなごん【清少納言】

紫式部と共に平安中期を代表する女流文学者。生没年、本名未詳。父清原元輔は「後撰集」撰者、曽祖父深養父ふかやぶも著名な歌人。一条天皇中宮(のち皇后)定子に仕え、清原姓に因んで清少納言と呼ばれた。和漢の学に通じた才女として名を馳せ、「枕草子」を著す。家集に「清少納言集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清少納言
せいしょうなごん

生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔(もとすけ)であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳であり、年齢に差のある異腹の兄姉、雅楽頭(うたのかみ)為成(ためしげ)、大宰少監(だざいのしょうげん)致信(むねのぶ)、花山院(かざんいん)殿上法師(てんじょうほうし)戒秀(かいしゅう)、藤原理能(まさとう)妻がいた。清原氏には和歌や漢学に精通した者も多く、恵まれた環境下に成人し、981年(天元4)のころ陸奥守橘則光(むつのかみたちばなののりみつ)と結婚し、則長をもうけたが、離別し、父元輔も990年(正暦1)に肥後守(ひごのかみ)として83歳で任地に没した。993年に一条(いちじょう)天皇の中宮定子(ていし)のもとに出仕し、約10年間の女房生活を送った。清少納言の清は清原氏を意味するが、なぜ少納言とよばれるかは明らかでない。多数の才媛(さいえん)に交じって才能を発揮し、藤原実方(さねかた)・同公任(きんとう)・同斉信(ただのぶ)・同行成(ゆきなり)らと交流し、快適な日々を過ごしたが、中宮の父道隆(みちたか)が没して政権は道長に移動し、中宮の兄弟の伊周(これちか)・隆家(たかいえ)が大宰権帥(ごんのそつ)・出雲権守(いずものごんのかみ)に左遷させられる事件が起こり、清少納言も道長方に内通しているといった噂(うわさ)をたてられて、私邸に籠居(ろうきょ)したこともあった。その間に初稿本の『枕草子(まくらのそうし)』を執筆して人々の賞賛を博す。再出仕後に増補するが、現存本の完成は、中宮が1000年(長保2)に崩御したのちのことである。
 その後の清少納言の動静は明らかでない。摂津守(せっつのかみ)藤原棟世(むねよ)と再婚して歌人小馬命婦(こまのみょうぶ)をもうけているが、その時期についても諸説がある。『紫式部日記』は彼女の学才を疑い、他人と異なることを好む性向を批判するが、『枕草子』は中宮のめでたさを賛美し、自己の観察した世界を記す。赤染衛門(あかぞめえもん)や和泉式部(いずみしきぶ)ら女流歌人とも交流し、その明るい人柄は多数の人々から敬愛された。晩年は月輪(つきのわ)(京都市東山区月輪町)に隠棲(いんせい)し、宮仕え時代と比べると寂しい生活を送ったが、零落し、放浪したという『無名草子(むみょうぞうし)』『古事談』などの説話は事実ではなかろう。家集『清少納言集』がある。[上野 理]
『岸上慎二著『清少納言伝記攷』(1943・新生社)』

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世界大百科事典内の清少納言の言及

【藤原定子】より

…12月16日次女子内親王を出産,即日死去した。定子に仕えていた清少納言の《枕草子》には,聡明で奥ゆかしい美人として描かれており,清少納言の傾倒のほども察せられる。【今井 源衛】。…

【枕草子】より

…平安中期,996年(長徳2)ころから1008年(寛弘5)ころの間に成立した日本最初の随筆文学。作者は清少納言。一条天皇の中宮定子(藤原定子)に仕えていた清少納言は,996年秋,中宮の一家と対立し容赦ない圧迫の手を加える左大臣藤原道長方に内通しているとのうわさにいたたまれず,中宮のそばを離れて長期の宿下がりに閉じこもった。…

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