喜多城跡(読み)きたじようあと

日本歴史地名大系 「喜多城跡」の解説

喜多城跡
きたじようあと

[現在地名]宮津市字喜多

普甲ふこう峠より宮津海浜にかけての谷を宮津谷といい、戦国期には丹後争奪戦の要の場とされた。その宮津谷の最も狭くなった所にある山城跡を城山しろやまとよび、小倉氏の居城跡である。標高九〇メートル、比高七〇メートルの低い山で、頂上本丸があり、続いて馬かけ場と称する所がある。「丹後旧事記」に最後の城主を小倉播磨守とし、天正六年(一五七八)一〇月細川藤孝方に滅ぼされたという。「細川家記」には小倉玄蕃居城とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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