喜多 長七郎
キタ チョウシチロウ
明治・大正期の開拓家
- 生年
- 弘化2年(1845年)
- 没年
- 大正9(1920)年
- 出生地
- 大和国葛上郡鳥井戸村(奈良県)
- 経歴
- 大和葛上郡鳥井戸村の農民で、明治3年宇智郡阿田峰の開墾に着手し、約20ヘクタールを開く。9年土地の払い下げを受けて大野新田と命名、移住農民を募って更に約50ヘクタールを開き、のち200ヘクタールの果樹園地帯に発展させた。また農会の創立、模範試作田の設置、道路の改修、砂防事業など公共事業に大いに貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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喜多長七郎 きた-ちょうしちろう
1845-1920 明治-大正時代の開拓者。
弘化(こうか)2年生まれ。大和(奈良県)葛上郡(かつじょうぐん)鳥井戸村の人。明治3年宇智郡(うちぐん)阿田峰の開墾に着手し,約20haをひらく。9年土地の払い下げをうけて大野新田と命名,移住民をつのって約50haをひらき,のち200haの果樹園地帯に発展させた。大正9年死去。76歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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