喜美留村
ちびるむら
手々知名村の北東に位置し、東部は海に面する。地名は植物名のキビに由来するという。古くから飲料水はクラゴーといわれる地下の鍾乳洞から汲んでいた。後方の丘陵にはテーガナシといわれる聖地があった。琉球王国時代から喜美留間切が置かれていたと推測され、正保琉球国絵図に村名の記載はないが、「きびる間切」のほか「きびる浜」がみえる。元禄年間(一六八八―一七〇四)以降は久志検間切のうちとなり、安政四年(一八五七)からは和泊方に属した。享保一一年(一七二六)喜美留村の下に朝鮮船一艘が漂着、破船していたが、乗組員は宰領の与人らが船を仕立てて琉球まで送り届けている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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