日本歴史地名大系 「四ッ興屋・四ッ興屋新地」の解説 四ッ興屋・四ッ興屋新地よつごや・よつごやしんち 山形県:鶴岡市鶴ヶ岡城下四ッ興屋・四ッ興屋新地[現在地名]鶴岡市新海町(しんかいまち)・陽光町(ようこうまち)四ッ興屋は大工(だいく)町の西、青竜寺(しようりゆうじ)川西岸にある給人地。西へ向かう温海(あつみ)街道がいったん南へ折れ、さらに西へ折れて寺田(てらだ)村へ向かう。よつこうやともよばれ、地名はかつて寺田村と鶴ヶ岡の間が一円田畑・谷地であった頃、当地に「小屋四ツ」があったことにちなむとされる。寛文元年(一六六一)足軽町の見立が行われ、翌二年屋敷割があった(大泉掌故)。延宝六年(一六七八)の城下絵図には北側袋小路となる道に御足軽町七八間、南側温海街道に四四間とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by