四ヶ船津(読み)しかふなつ

日本歴史地名大系 「四ヶ船津」の解説

四ヶ船津
しかふなつ

[現在地名]島原元船津町もとふなつまち有馬船津町ありまふなつまち浦田町うらだまちなど

船津と称された一帯で、元船津・有馬船津・白土船津しらちふなつ浦田船津の四地区からなる。寛政四年(一七九二)の島原大変で消滅した船津町の南東に位置し、この災害後、浜辺に近い当地に船津諸町が移転したとされる。浦田は南有馬みなみありま(現南有馬町)の浦田から海民が移住してきたとされ、城下しん町別当の隈部杢左衛門の管轄下であったという。正徳元年(一七一一)有馬船津からの失火で三六〇余軒が焼失(深溝世紀)、天明三年(一七八三)ふる町筋の失火による火災では元船津・有馬船津・浦田船津の計九二四人に玄米一〇〇俵が支給された(島原の歴史藩制編)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む