日本歴史地名大系 「四貫島村」の解説 四貫島村しかんじまむら 大阪府:大阪市此花区四貫島村[現在地名]此花区四貫島一―二丁目・朝日(あさひ)一―二丁目・梅香(ばいか)一―三丁目・春日出中(かすがでなか)一丁目・春日出北(かすができた)一丁目・春日出南(かすがでみなみ)一丁目南西流する六軒屋(ろつけんや)川の右岸に広がる。北側を正蓮寺(しようれんじ)川が西流する。寛永元年(一六二四)九条(くじよう)村(現西区)と同時に開発された地で、同四年の検地帳に惣作として二七町八反・三〇〇石が記される(西成郡史)。当初は九条村の支郷で中釜(なかかま)村と称されたが、同七年独立して四貫島村と改称したという(同書)。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳に四貫島村の名がみえ、「是は高なし見取場小物成之内」とある。天保一〇年(一八三九)大坂湊口新田細見図では地主は横堀吉野屋(よこぼりよしのや)町(現西区)の川崎屋しかとなっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by