安治川(読み)あじがわ

  • あじかわ
  • あじかわ アヂかは
  • あじがわ〔あぢがは〕

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大阪市内を流れる旧淀川分流の1つ。中之島西端から大阪港に注ぐまでをさす。淀川の洪水を防ぐため貞享4 (1687) 年,河村瑞賢 (ずいけん) が九条島を開削して造成。淀川舟運の大動脈となった。その浚渫 (しゅんせつ) でできたのが天保山 (てんぽうざん) である。明治1 (1868) 年大阪開港,さらに 1903年大阪築港に伴い,川筋は物資輸送の機帆船往来が盛んになり,沿岸には倉庫,荷揚げ場,造船所などの立地をみた。第2次世界大戦後,下流 2kmの間が川幅 500mに拡幅され,安治川内港が設けられた。現在,左岸の安治川埠頭には上屋,倉庫,サイロ,国際見本市会場などが整い,外国交易港区となっている。右岸には造船,車両,機械などの大工場が立地。弁天埠頭は瀬戸内海航路のターミナル。

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世界大百科事典 第2版の解説

淀川下流のうち,大阪市中之島西方の堂島川と土佐堀川の合流地点から大阪湾に注ぐまでをいう。下流は大阪港の中心地区をなし,各種の港湾施設と倉庫,工場が集中する。江戸時代初期の淀川下流は流路が複雑で,土砂によって三角州が成長し,その新田開発が進むに伴い河道が延長し,河口がふさがり舟運に障害が起こった。このため幕命を受けた河村瑞賢は,1684年(貞享1)九条島に新川を切り開いて淀川の水を一直線に海に導く改修工事を行った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大阪市内を北東から南西に貫流する旧淀川(よどがわ)下流の一分流。北区中之島西端から大阪湾に至る延長6.34キロメートル、幅員158メートル。うち下流部約2キロメートルは安治川内港で幅員500メートル。1684年(貞享1)幕命を受けた河村瑞賢(ずいけん)が治水対策として、当時蛇行する淀川下流の九条島(くじょうじま)を開削してつくった人工河川である。開削以来治水のみならず水運にも寄与し、商都浪華(なにわ)の繁栄をもたらした。その間、河底の土砂の浚渫(しゅんせつ)がたびたび行われ、その盛り土で波除山(なみよけやま)や天保山(てんぽうざん)が築かれた(跡地は公園化)。1868年(明治1)大阪開港に際しこの川筋に川口波止場、同運上所(税関)が設けられたが、やがて大阪湾頭の大阪港築造に伴い、同港と市街地を結ぶ水路として重視された。第二次世界大戦後は大阪港の復興事業として、各河川下流の内港計画が進められ、安治川内港ができた。現在、右岸に大阪中央卸売市場のほか、住友化学、新日鉄住金などの大工場、左岸には倉庫群、穀物貯蔵サイロなどが立地し、安治川大橋で結ばれている。

[位野木壽一]

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精選版 日本国語大辞典の解説

大阪市西部、中之島の西端から南西流して大阪湾に注ぐ旧淀川の称。貞享元~四年(一六八四‐八七)河村瑞軒が開削し、新川と名づけた。現在は内港としての役割が大きい。延長約七キロメートル。

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世界大百科事典内の安治川の言及

【大阪[市]】より

… 元禄期の発展によって,大坂市中は拡大した(図)。貞享年間(1684‐88)河村瑞軒が淀川筋を改修し安治川の開削をおこなったが,それをきっかけに元禄・宝永期に堂島,安治川や堀江,曾根崎の各新地ができた。ついで享保以降にも高津,難波の両新地ができた。…

※「安治川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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