国信村(読み)くにのぶむら

日本歴史地名大系 「国信村」の解説

国信村
くにのぶむら

[現在地名]大山町国信

末長すえなが村の北西にあり、北は日本海に面する。北東から南西伯耆街道が通る。正応五年(一二九二)八月二四日の僧覚雅置文案(醍醐寺文書)にみえる「伯耆国々延保」の遺称地。藩政期の拝領高は九〇九石余、本免は四ツ。延享三年(一七四六)の汗入郡御通筋村々厘付帳(門脇家文書)によれば高九七六石余・新開高一三石余で今高は九八五石余、土免四ツ・請免三ツ六分九厘、竹運上銀七匁四分五厘。家数八二・人数五五八(男二九五・女二六三)、牛四〇・馬六。天保九年(一八三八)の御巡見様御通行万端袖控(橋井家文書)では家数一〇三・人数三九五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む