大山町(読み)だいせんちよう

日本歴史地名大系 「大山町」の解説

大山町
だいせんちよう

面積:八四・四九平方キロ(境界未定)

西伯郡のほぼ中央に位置し、東は名和なわ町・中山なかやま町、東伯とうはく郡東伯町、西は淀江よどえ町・岸本きしもと町、米子市、南は日野郡溝口みぞくち町・江府こうふ町に接する。北西は日本海。町域は南東から北西へ延び、南東端を占める大山主峰をはじめ、その北西へ豪円ごうえん山・鍔抜つばぬき山・鈑戸たたらど山・孝霊こうれい山など独立峰が並び、その間に大山の火砕流堆積物によって町域中部には緩やかな傾斜地がつくられている。北部は大山三鈷さんこ峰の北方けん谷に発して北西流する阿弥陀あみだ川により扇状地が形成されている。南北約一八キロ、東西約一〇キロで、標高差は約一七〇〇メートルとなる。大山山麓からは鈑戸川・坊領ぼうりよう(佐摩)川・川手かわて川が北西流していずれも阿弥陀川に注ぎ、うち川手川は東端名和町境近くを流下している。大山山中もと谷に源を発する佐陀さだ川は西へ流れて岸本町に入り、その北を西流する精進しようじん川は米子市に入る。孝霊山麓からは江東こうとう川・妻木むき川が流れ出て北西日本海へと落ちている。大山山麓には大沢おおさわ池・大野おおの池・赤松あかまつ池などいわゆる大山七池が点在。北部には近世に築造された松尾まつお池・大谷おおたに池などがあり、重要な用水源となっている。主要道はほぼ古くからの大山道(尾高道)に沿って西から米子―大山線(旧大山道路)、大山道(横手道)に沿って南から倉吉―江府―溝口線(旧大山環状道路)、大山道(坊領道)に沿って北から名和―岸本線・県道大山口停車場だいせんぐちていしやじよう―大山線などが大山寺へと通じ、海岸にはほぼ旧伯耆街道に沿って北東から南西へ国道九号が走る。同線南側をJR山陰本線が走り、大山口駅が設けられている。

縄文時代から古墳時代の遺跡は孝霊山麓や大山高原、所子ところご扇状地上に点在する。縄文遺跡では大道原おおみちばら遺跡、塚田つかだ遺跡のように早期から営まれた遺跡がある。弥生時代では前期の上野うえの遺跡が認められ、古墳時代でも西伯耆最古式の徳楽とくらく方墳があるなど、各時代の初源的な遺跡が認められる。また古墳数は約二〇〇基を数え、孝霊山麓を中心に分布する。

大山町
おおやままち

面積:五七二・三二平方キロ(境界未定)

県の面積の約七分の一という最大面積を占め、その大部分薬師やくし岳を中心とする山地である。最高峰は後立山連峰水晶すいしよう岳二九七七・七メートル。立山町との間を常願寺川が流れ、上流立山カルデラを浸食し崩壊土砂の流失が激しく、川の砂防工事は断えることなく継続されている。北西部の上滝かみだきを扇頂に典型的な扇状地が形成されている。また常願寺川上流に河岸段丘が発達している。北は立山町、北西は富山市、西は大沢野おおさわの町、南は岐阜県吉城よしき神岡かみおか町・上宝かみたから村、東は長野県大町市に接する。旧石器時代ではくろ川上流で頁岩系石材の掻器が、文珠寺の稗田もんじゆじのひえだ遺跡では有舌尖頭器が見付かっている。縄文時代の遺跡は常願寺川左岸の段丘上に数多く分布しているが、平成元年(一九八九)に行われた東黒牧上野ひがしくろまきうえの遺跡の調査では中期の大集落が発掘され、とりわけ細長い川原石が二個一対で壁際に並べられた大型住居跡はその性格などで議論をよんでいる。立山信仰とかかわりが多く、立山開山佐伯有若(慈興)千坊せんぼうヶ原の薬勢を師としたとの伝説があり、薬勢は大河の南三ヵ所本宮ほんぐう光明こうみよう山・報恩ほうおん寺を開き、慈興は北三ヵ所を開いたという(「伊呂波字類抄」十巻本)。また「和漢三才図会」は開山を有若の子有頼とし、師を本宮の五智山円福えんぷく寺の慈朝(薬勢の弟子)としたという説もある。熊野くまの川から常願寺川の南ルートも立山信仰の道であったが、早く衰退したと考えられる。

大山町
おおやままち

面積:四五・七二平方キロ

現郡域の北部中ほどにあり、北から西にかけては日田市・前津江まえつえ村、西から南にかけては中津江なかつえ村・熊本県阿蘇郡小国おぐに町、東から北にかけては天瀬あまがせ町と接する。町の南端で杖立つえたて川と合流した大山川(筑後川)は町域の赤石あかいし川などを集めて北流、日田市域に向かう。同川沿いに国道二一二号が通り、これより県道日田―鹿本かもと線、西大山―大野おおの―日田線などが分岐する。

中世は太宰府天満宮安楽寺領の津江山つえやまの内であったとみられるが、戦国期末には大山庄とみえ、近世にも支配単位または通称名として継続する。一八世紀初めには大山筋として把握されており、それらを含めた六村が現在の町域となっている。

大山町
だいせんちよう

2005年3月28日:西伯郡中山町・名和町・大山町が合併
【中山町】鳥取県:西伯郡
【名和町】鳥取県:西伯郡
【大山町】鳥取県:西伯郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大山町」の意味・わかりやすい解説

大山〔町〕
だいせん

鳥取県西部,大山の北斜面から日本海岸にかけて広がる町。 1955年所子 (ところご) 村と高麗村の一部が合体して町制。同 1955年大山村と合体。 2005年中山町,名和町と合体。妻木 (むき) ,別所などは縄文・弥生時代の出土品が多く,孝霊山周辺には古墳群,阿弥陀川扇状地には条里制遺構がある。名和長年ゆかりの地で,名和一族をまつる名和神社などの旧跡が残る。大山主峰が町域に属し,中腹に大山寺,大神山神社奥宮がある。山麓では酪農による乳牛飼育,養豚が行なわれる。平野部では米,野菜,二十世紀梨,タバコなどを栽培。沿岸部ではウニ,板ワカメを特産。町域の一部は大山隠岐国立公園に属し,ダイセンキャラボク純林は特別天然記念物。下市川の河口付近には国指定天然記念物のハマナス自生南限地帯がある。 JR山陰本線,国道9号線が通る。面積 189.83km2。人口 1万5370(2020)。

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